
「海洋散骨って、なんか新しいものですよね?」
そう思っている方も多いかもしれません。でも実は、逆なんです。
遺骨をお墓に納めて、子や孫が引き継いでいく——その慣習こそが、歴史的には「新しい」のです。
70年前まで、人は亡くなると「自然に還っていた」
今からおよそ70年前まで、人が亡くなるとすべてを土に還すのが当たり前でした。子どもや孫が親の遺骨を引き継ぐという概念は、庶民にはほとんどありませんでした。
では、先祖のお墓はどうしていたのでしょうか。
実は、先祖墓(累代墓)という考え方自体、一般庶民にはなじみが薄いものでした。お墓は故人ごとに設けられ、代々引き継ぐスタイルではなかったのです。
では、親や先祖をどのように供養していたのでしょうか。
答えは、自宅の木の板一枚でした。
それが「位牌」です。木の板に文字を書いたもので、親や先祖の「形代(カタシロ)」として手を合わせ、供養してきたのです。供養の対象は「遺骨」ではなく、「位牌」でした。
お坊さんがお経を唱える先も、この木の板。遺骨ではありませんでした。
つまり、現代のように遺骨が供養の対象となったのは、たった70年ほど前から始まった慣習なのです。
では、70年前に何が起きたのか?——墓地埋葬法の制定
戦後、国はある法律を制定しました。それが「墓地埋葬法」です。
戦後の混乱期、あちこちに遺体が埋められるという状況が生まれていました。事件と区別がつかないという問題もあり、国は「行政が指定した墓地でのみ、お墓の建立を認める」という許可制を設けたのです。
同じ時期、国は自治体ごとに火葬場を整備し、火葬を一般化していきました。
そして昭和30〜40年代にかけて、こんな慣習が広まっていきます。
火葬 → 骨壺へ → 家ごとにお墓を建立する「累代墓(先祖墓)」
子どもや孫が遺骨とお墓を引き継ぐ時代の到来です。
社会の空気も変わっていきました。「立派なお墓を建てて一人前」「大きくて立派なお墓は、家の名誉と存在の象徴」——人々は競って大きなお墓を建てるようになり、銀行もお墓建立への融資を積極的に行うようになりました。
そして時代は変わった——少子高齢化とお墓の継承問題
しかし、社会は変化し続けます。
子どものいない家庭、娘しかいない家庭では、お墓を引き継ぐ人がいません。娘が嫁げば、両家のお墓を同時に守ることには無理が生じます。また、子どもがいても、生まれ育った地を離れて都会へ出て、戻ってこないケースも増えました。
こうして「お墓の継承」が、社会問題として浮かび上がってきたのです。
その流れの中で注目されるようになったのが、お墓じまいです。そして、遺骨の整理先として再び脚光を浴びることになったのが——昔ながらの自然葬、海洋散骨でした。
海洋散骨は「新しい供養」ではなく「70年前への回帰」
遺骨をお墓に残して代々引き継ぐという慣習は、長い人類の歴史の中ではむしろ例外的な期間のことです。人は本来、自然に還ってきた。
海洋散骨は、そのもっとも自然な形のひとつです。
「お墓を守ってくれる人がいない」「子どもに負担をかけたくない」「自分らしい最期を選びたい」——そう感じているなら、それはとても真っ当な感覚だと、私たちは思っています。
大分の別府湾の海が、大切な方をやさしく受け止めます。
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