大切な人を亡くしたとき、人は深い悲しみを抱えます。
「グリーフケア(悲嘆のケア)」とは、その悲しみに寄り添い、受け入れ、日常生活を取り戻していくための心のプロセスを支える取り組みです。
近年、グリーフケアの観点からも注目されているのが、海洋散骨という選択。それは単に“お墓を持たない選択”ではなく、グリーフケアプロセスそのものにも深く関わる供養のかたちなのです。
■ 散骨を通じて「気持ちに区切りがついた」と話す女性の声
大分県在住の60代女性。
夫を病気で亡くしてから1年、日々の生活は淡々とこなしていたものの、心のどこかにぽっかりと穴が空いたような感覚を抱えていたといいます。
「夫は生前、“お墓はいらない。海に還してくれればいい”と話していました。
でも実際にその日が来ると、どうしても踏み切れず、しばらく遺骨は家に置いていたんです」
葛藤の末、当協会の海洋散骨に申し込み、代行ではなく、自分の手で海に還す「お見送り乗船散骨」を選ばれました。
「船の上で、海に向かって“ありがとう”と声をかけた瞬間、張りつめていた何かがふっとほどけて、涙が止まりませんでした。
“やっと区切りがついた”と感じました」
このように、海という大きな自然に還すことで、自分の中の悲しみも静かに受け止められる——それが、グリーフケアとしての海洋散骨の大きな意義です。
■ 悲しみと向き合い、“執着”を手放すプロセス
グリーフケアには「悲嘆の段階」という考え方があります。
- 喪失の実感を受け止める
- 痛みや混乱を感じることを許す
- 故人の不在とともに生きる新しい生活に適応する
- 故人との“心のつながり”を再構築する
海洋散骨は、まさにこの流れに沿った“癒しの儀式”とも言えます。
遺骨という「形ある存在」に強く執着してしまうと、心の整理が進まず、悲しみの中に留まり続けてしまうケースも少なくありません。
その点、海洋散骨は遺骨を手放し、自然に還すという“区切りの儀式”であり、それによって「もう会えない現実」を受け入れる助けとなります。
決して“忘れる”のではなく、“執着を手放してつながりを再構築する”。
それが、グリーフケアとしての散骨の意味です。
■ 「手を合わせる場所がない」という不安への答え
「散骨すると、お墓がなくなって手を合わせる場所がなくなる」
そんな不安の声を耳にすることもあります。
けれど、海洋散骨を選ばれた方の多くが、こう話されます。
「海を見に行くと、あの人に会える気がする」
「波の音を聞きながら、“今日はこんなことがあったよ”って報告しています」
海は、すべての命の源であり、世界とつながる場所。
どこにいても、空と海がつながっているかぎり、亡き人に語りかける場所は失われません。
これは、「グリーフの出口は“記憶の中の対話”である」とする心理学の考え方にも通じます。
■ グリーフケアとしての海洋散骨が、今選ばれる理由
近年、核家族化や都市部への移住、宗教観の変化などにより、「お墓を持たない」という選択をする人が増えています。
しかし、ただ合理的に“管理の手間がないから”ではなく、残された家族にとって幸せの選択として、海洋散骨が選ばれているのです。
- 遺骨を自然に還すことで、気持ちにけじめがついた
- 遺骨にすがらなくても、想いがあれば供養はできる
- 「お別れ」を「感謝と再出発」の儀式にできた
このような声は、悲しみに寄り添い、癒す力が海洋散骨にはあることを教えてくれます。
■ 海に還すという選択が、次のステージへ進む一歩となる
人は、大切な人を亡くしたとき、ただ「遺骨をどうするか」だけでなく、
「これからどうやって、その人とつながっていくか」を考えながら生きていきます。
海洋散骨は、その問いに対する一つの選択肢です。
そして、それは単なる“遺骨の行き先=埋葬”ではなく、
遺された人の心が、再び自分の人生を歩み出すための“次のステージへ進む一歩”でもあるのです。