海洋散骨への誤解と反対意見
「海洋散骨は供養にならない」「仏教の教えに反する」。 このような声が、一部の僧侶や仏具店から聞かれることがあります。 背景には、信仰者の減少や伝統的供養の形が変わっていくことへの危機感もあるようです。
たしかに、墓じまいと海洋散骨という新たな供養スタイルは、これまでの常識から見れば革新的に映るかもしれません。 しかし、果たして本当に“供養にならない”のでしょうか?
埋葬と供養は本来別々だった
実は、埋葬と供養は元々別の行為として行われてきた歴史があります。 土葬が主流だった時代、人々は亡くなった人を土に還し、その後の供養は仏壇や位牌を通じて行ってきました。
遺骨を直接対象とした供養はこれまでもありませんでした。もともと日本では“形代(かたしろ)”と呼ばれる考え方。 目に見えないご先祖の存在を象徴的に敬ってきた文化が根づいています。
供養とは、遺骨に向かって手を合わせることではなく、 故人を想い、心の中で対話し続ける“こころの行為”でした。
世界の主流は自然葬
世界の埋葬事情を見ると、自然葬が主流です。
・キリスト教徒:約30%(主に土葬) ・イスラム教徒:約25%(ほぼすべてが土葬) ・ヒンドゥー教徒:約15%(水葬)
これらを合わせると、世界の約70%以上の人々が自然に還る埋葬方法を選んでいることになります。
日本でも、火葬が普及する以前は、土葬が当たり前であり、「自然に返す」という考え方は、 実はとても“日本的”な思想とも言えるのです。
僧侶の意見と、変わる信仰観
ある僧侶は、「遺骨がなければ法要ができない」と語ります。 一方で、別の僧侶は「供養とは、場所や形ではなく、遺された人の心にある」と語ります。今、僧侶の中でも考え方に大きな違いが生まれています。 伝統を重んじる一方で、現代の生活に合った供養を受け入れ、心のよりどころとしていく柔軟な姿勢が求められているのです。
【事例紹介】80代女性の決断
大分市に住む80代の女性が、墓じまいと海洋散骨を決断されました。 きっかけは、遠方で暮らす一人娘の存在です。 「この子に、将来お墓のことで負担をかけたくない」 そんな想いから、住職に相談し、家族とも話し合いを重ねて、海洋散骨という道を選びました。
「最初は迷いもあったけれど、今は心からホッとしています」 と話すその表情には、心の荷を下ろした深い安堵の色が浮かんでいました。
現代の家族に合った新しい供養
今や、家族のかたちも大きく変わっています。 単身世帯の増加、子どもが遠方に住むケース、高齢化。 こうした背景から、「お墓を持たない」という選択をする人が増えているのは自然な流れとも言えるでしょう。これは、社会情勢の変化です。仏具店の伝統を重んじる考えは理解できます。しかしその伝統も社会情勢の変化から生まれてきたものでしょう。海洋散骨は、自然に還す昔ながらの供養のかたち。 そしてそれは、決して「供養を放棄すること」ではなく、 むしろ現代の社会情勢に合った新しい方法なのです。
供養とは、心に宿る行為
供養とは、形でも場所でもなく、心の中にある行為です。 遺骨があるかどうかに関係なく、故人を想い、先祖に感謝し、手を合わせるその時間こそが、供養の本質。自然に還すという選択は、けっして軽んじた行為ではありません。 むしろ、日本の文化的背景や世界の宗教観に照らしても、極めて自然で本質的な供養の在り方です。これからの時代、私たちはもっと自由に、そして心から納得できる供養のかたちを選んでいいのかもしれません。
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