「子どもは東京にいます。もう大分では暮らさないそうなので、墓じまいをして欲しいと言われました。お墓は解体撤去したのですが、両親の2柱を自宅に持ち帰ってどうしたらいいのかわかりません。」という相談からスタートしました。
そんなに昔ではない昭和の初め頃まで、多くの日本人は土葬で埋葬されてきました。やがて全てが自然に還っていたので遺骨が自宅にあるとか、遺骨をどうしていいか分からないなどの問題はありませんでした。日本人は、先祖供養を仏壇や位牌で行ってきたので、遺骨を供養している現代とは社会的な背景が違います。
今から70年ほど前、日本は高度成長期に入り、国の基幹産業は農業から工業へ変わりました。多くの人々は都会へ出て仕事をするようになったのです。その頃、「故郷へは、盆と正月に帰りなさい。親に顔を見せて、墓参りをしなさい。」という風習が生まれました。「故郷」「墓参り」という風習はこの頃に生まれたそうです。
その頃から、国は全国各地に火葬場を作り、各地の自治体(行政)は墓地を区画整理して「家ごとに墓を建て、火葬した遺骨を骨つぼに入れて納めましょう」という社会に移り変わっていきました。産業や生活等物事の基盤を整えるため交通インフラを整備して、人々が家を建てるように推奨して戦後復興の仕掛けを行いました。その一環で山を切り開き団地を作り、道路を整備します。そして、地域の土葬の墓場だった場所は小学校中学校を建て、公園にしたりして土葬していたお墓を整理していったのです。こうして、今ある市営墓地や民間霊園が新しく作られて「墓参り」文化が出来てきたのです。
日本の火葬率は世界一だと言います。火葬率が9割を超えたのは今から40数年前だそうです。つまり4,50年前まで土葬もまだ一部の地域であったということです。
今回、相談のあった夫婦は墓じまい後の遺骨整理です。お墓の中にあるご遺骨は依頼者の両親。当時はお墓を建てて一人前という風習があったので、お墓はローンを組んでも建てる時代でした。お墓のローンは平均200万円だったそうです。そして、どのローンよりも審査が緩くローンを組みやすかったと語っていました。
いつか誰かがしないといけない「墓じまい」。お墓の中の遺骨は自然に還す「海洋散骨」に決まりました。自然葬は昔のやり方に戻るだけです。もしかしたら、墓じまい、遺骨整理という心の荷をおろすことはそんなに難しくないのかも知れません。