主人の両親を見ていて、夫婦の間のいろんなことを考えさせられました。
「夫婦仲が悪い」といってトラブルになる話は良く聞きますが、仲が良いから起こってしまう事もあるんです。
どちらかが先だった後、残された連れ合いはどうなるのか…
生きている間のことはもちろんですが、それぞれの弔いをどのようにするか、気持ちを確認して行き着いた先が「海洋散骨」でした。
現世の別れを迎える義父母を見て
主人と結婚してからは、主人の両親と私たち夫婦、そして子どもと3世代一緒に暮らしていました。
両親は本当に仲が良くて、一日中働きに出て親がいない中、子どものお世話はほぼ2人がしてくれていました。子どもが小さかったうちは、両親がいてくれて本当に助かったものです。
そんな折、義父が脳梗塞で倒れて左足が不自由になってしまいました。まだまだ気の若い50代でしたので、体が動かせない不自由さを近くで見て切なくなることもありました。
介抱をしていた義母に、痴ほうが見え始めたのはそれから15年ほどたってから。私たち夫婦だけで介護をするのは難しくなって、施設に入所したものの、体はみるみる衰えてしまい、肺炎で亡くなりました。
義母の葬儀で、「ずっとそばにいるからね」と涙を流していた義父は、遺骨をお墓に入れずに手元で供養したいと言い始めました。
主人の家系には家墓がありましたが、手元供養をすることにしました。
「妻と1つになりたい」
義母の生前、本当に夫婦仲が良かったので、「ずっと一緒にいたい気持ちを叶えられるなら」と遺骨を家に置いていました。
が、それが災いしたのか、義父は全く家から外に出ようとしなくなりました。
気晴らしに外へ一緒に出かけることもありましたが、心は上の空ですし、週に1度利用していたデイサービスへ行くのも拒むようになりました。
本当に「心にぽっかりと穴が空いた」といった感じです。
もちろん、不自由な体で出歩くのが辛かったのもありますが、遺骨の前に一日中座ったままで、気持ちもどんどん伏せっていくように見えました。
義母の思い出話をくり返していても、義父の気持ちは前向きにならない…そう思ったのか主人は、お酒を呑みながらふと「オヤジがお母さんの所にいった時のことを話そうか」と言いました。
「縁起でもないことを!」と私は大声を出してしまったんですが、その後に義父は「そうだねえ、俺はお母さんと1つになりたいなあ。もう、離れているのはイヤなんだよ」と、にっこり笑ったのです。
正直、驚きました。義父にとっては、自分の命がなくなってしまう怖さより何より、「妻と一緒にいることの方が大事なんだ」と知ったんです。
大分県で両親の思いを叶えるための自然葬
義母が火葬されていた時、「お母さん、空に行くんだね。俺もそのうち行くからね」と義父がつぶやいていたのを思い出しました。
あの時から、義父の気持ちは何にも変わらずに時が止まったままだったんだと気づきましたし、そんな義父母を、うらやましい、尊いとも思いましたね。
夫は、「オヤジはお墓に入れないよ。お母さんと一緒に眠るんだ。家墓は自分に任せてもらうよ」と言い、海洋散骨の資料を取り寄せました。
「お母さんと一緒にいられるんならどんな方法でもいいさ。輪廻転生、命あるものはいつか死んでまた何かに生まれ変わるんだよ。遺骨もしょせん、ぬけがらなんだよな。それでも、お母さんとはぐれるのはヤだね。だから俺と一緒に弔ってやってくれ」
義父の話を聞いていて、涙が止まりませんでしたよ。
家墓のあるなしに関係なく、その時が来たら、「生前の気持ちを大事にして海洋散骨にしよう」と夫と話しているところです。