お恥ずかしい話ですが、私はこれまでの人生でお金の工面に苦労してきました。
決して散財した訳ではありません。
両親の闘病と妻の病気の治療費を払うのに精一杯だったのです。
祖父母のお墓は公営墓地にあったのですが、私が働き始めてすぐに父の闘病が始まり、次第に母も体調を壊すことが増え、病院と職場の往復をしていた時間があまりにも長すぎました。
気が付けば満足な先祖供養もできないまま、20年という時間が経ってしまい、公営墓地の使用料を払うこともままならず、結局お墓が撤去されてしまいました。
金銭的な余裕がなく過ごした日々
もちろん、ある日突然に祖父母のお墓がなくなったわけではありません。
何度も公営墓地の管理者から通知をいただきました。そのたびに「使用料を払わなければ」と思いました。
しかし、長く入院している両親の治療費を病院に支払うだけで必死でした。
妻も私の状況を(多分不満は募っていたと思いますが)理解してくれ、2人で一生懸命働きながら、稼いだお金のほとんどを病院に支払うことを、ただただくり返していたのです。
自分たちの生活もギリギリの状態で、毎月届く病院の請求書の額を見るたびに、何のために働いているのかと自分を見失いかけたときもありました。
20年もの間こんな生活を繰り返して来て、「いつになったら妻と2人で人間らしい生活ができるのか」と思っていた時、ムリが祟った妻が大腸がんを患っていることを知りました。
家墓が亡くなって遺骨だけが手元に
「ずっと体調が悪かったけれど、仕事もあるし言い出せなかった」と妻に告げられた時は、本当に申し訳なく、情けなくなりました。
自分の体を犠牲にして、両親の入院代のために働き続けた妻は、もう手の施しようがないところまでガンが進行していました。
痛みを緩和しながら余生を過ごすしかない妻に対して、「私が出来ることは何だろう」と思い始めたと同じタイミングで母が危篤に陥り、数日後に亡くなりました。
葬儀の手配の話になり、ずっと墓参りにも行っていない墓地の場所を伝えると、私の生活状況を知っていた葬儀社の知人から「一度墓地に問い合わせた方が良い」と言われました。
何のことか意味が分からず、「納骨の手配で必要なのか」と思いながら公営墓地管理者に連絡をしたところ、「使用料を3年滞納されていたため、墓石は撤去し遺骨は合葬した」と告げられたのです。
本当に情けないと思いました。墓参りもろくにせず、使用料を払えなかったうえに、ご先祖の遺骨が合葬されるという通知の手紙に気づかず、お墓を失っていたのですから。
納骨するお墓もなく、母の遺骨は手元に置いていました。その3ヶ月後に妻が旅立ちました。
1年の間に、母と妻の2つの遺骨だけが自分の手元に残りました。
海洋散骨でみんな一緒に眠ります
先祖の遺骨が合葬され、2つの遺骨は手元にあり、父は今闘病を続けています。
私たち夫婦には子どもが居ませんので、今からお墓を建ててもいずれ無縁仏になることはわかっています。それ以前に、お墓を建てるようなお金も持ち合わせていません。
墓守として気を配れなかった情けなさと、管理する費用を工面できなかったくやしさはありますが、いずれ父が亡くなり、私1人になってしまった時のことを考えると、どうするのが最良な策なのかも分からなくなっていました。
病院のロビーでテレビを見ている時、ふと「海洋散骨」という言葉が耳に入りました。「これしかない」と思いましたし、正直救われるような思いでした。
仕事の合間に、宣伝で流れていた海洋散骨を調べてみましたが、調べれば調べるほど、海っていいなと思うようになりました。
ネットを見て、資料請求して、パンフレットを見ていると思わず涙が出ました。「こんなに静かで、落ち着いた気持ちになったのはいつぶりか」と涙が止まりませんでした。やっと答えが見つかった気持ちです。
海洋散骨の資料を頂いて、家に帰ってからすぐに申込用紙に記入しました。自宅供養している2つの遺骨を供養できる。そんな些細なことで…と思われるかもしれませんが、記入を終えた瞬間、「頑張ろう」と数十年ぶりに、働くことや生きることに対して前向きな気持ちになれたんです。
きっと、母と妻の遺骨を供養する場所を見つけられたから。そして、父と私もそこで眠れる安堵を実感したからだと思います。
私が出せる範囲のお金で遺骨を供養できることに安堵しています。