私は、有料特別老人ホームでヘルパーとして働いています。
私は60代でまだ体の不自由もなく、毎日元気に過ごしています。2人の子どもたちは独立してそれぞれ所帯を持っているので主人と2人暮らしですが、主人もまだまだ現役で働いています。
あちらの世界に行くのは、ずっと先のことだと思っています。
ただ、介助が必要な入居者があの世に旅立たれて、遠くに住んでいるご家族がいらした時の様子を見たり、あわただしくあいさつをしてお別れしてしまうことが、これまでに何度もありました。
そんな時、「私の将来を考えて終活を始めておこうかしら」といつもどこかで思っていたんです。
ヘルパーとして働きながら将来を考えはじめて
私がパートで働いている施設には、約30人ほどの介助が必要な方が入所しています。デイサービスのような通いではなく、皆さんがほぼ「お泊り」です。
家族が補助をすることができれば、日常生活が回るような方も中にはいます。が、トイレもお風呂も、食べることにも誰かの手を借りて生活をしている方が大半です。年の頃は70~90代の方が多いですね。
ご夫婦で入居している人も入れば、連れ合いに先立たれて単身身寄りがない方もいらっしゃいます。
家族が遠くに離れて住んでいるため、日常的な介助が難しくてらっしゃる人もいます。
私は今、皆さんをお手伝いするための仕事をしていますが、「私もいつかこの方たちと一緒に介助を受ける時が来るのかな」と漠然と考えることが増えました。
今は健康な体だと思っていますが、病気やケガをして長く床に伏せると、寝たきりの生活になってしまうかもしれません。若い時のような回復力もないでしょうから。
海洋散骨の資料を見てエンディングが現実的に
主人や、離れて暮らす子どもたちと私は、老いが進んだらどうやって関わっていくのか…。
天に召された時、「家族の誰かにいろんなことをお願いすることになるなら、その道筋を作っておくことも考えておかなきゃ」とも考えるようになりました。
親心・妻心というやつでしょうか。「すべてお任せしますよ」と言えない性分なんです。
新聞広告で「自然葬」「永代供養」という文字を見つけて、さらに具体的に考えるようになりましたね。最近、多いですよね。自然葬とか、納骨堂とか…墓地の広告が。
これまで、身内のお葬式や法要も、なんだかよく分からないうちに終わっていた気がするし、正直この手の話ってグレーな感じで、誰にも相談できないと思っていたんです。
主人も私も、両親がまだ健在の長寿一家なので、これからいろんな現実と向き合うこともあるだろうし、親より私が先に旅立つことだって不思議じゃない歳にもなりましたし。
両家ともお寺とは縁遠くて、これから檀家に入って…そうすれば子どものどちらかにも檀家に入ってもらって…となると「弔いのためだけにお寺と関わるって何だか変だな」と思うし、死後の世話をしてくれればどこでも良いってわけでもないですしね。
それなら、生前のうちに、ピンときた海洋散骨へ申込をしておきたいなと思ったんです。
海なら日本中どこでも繋がっているし、「あちらの世界でも一緒に居られる」と思うだけで、何だか気分が和む気がします。
子どもたちも、先祖が海で眠っていると言えば、いつでも海にお参りに来てもらって。
若い世代は、「今」を一生懸命生きてもらえれば、天からそれを眺める親にとって十分親孝行だし、先祖への弔いだと思いますよ。