
「もしもし、あの……ちょっと相談していいですか」
声の主は、福岡市在住の53歳、Tさん。大分市内に実家があり、20年前に嫁いで以来、なかなか帰れずにいた。
「実は……お墓のことで、弟ともめてて」
その一言で、すべてが始まった。
「長女なんだから、なんとかしてよ」
Tさんの母親は3年前に他界。父親はすでに10年以上前に亡くなっており、大分市内の霊園に夫婦並んで1つのお墓の中で眠っている。
問題は、そのお墓だ。
「年に一度、お盆に帰って掃除していたんです。でもこれまで大分市に住んでいた弟が転勤で北海道に行ってしまって。私も膝が悪くなってきて、在来線とバスを乗り継いで霊園まで行くのが、正直しんどくなってきました」
そんな折、弟から一通のLINEが届いた。
「姉ちゃん、長女なんだからお墓のことなんとかしてよ。俺、北海道だし」
Tさんはスマホを持ったまま、しばらく固まった。
長女、という言葉の重さ。でも、嫁いだ身でもある。夫の実家の墓もある。子どもは娘ふたりで、どちらも県外に出ている。誰がこのお墓を、この先ずっと守っていくのか。
「考えれば考えるほど、ストレスになって」
お墓参りに行くたびに、罪悪感だけが積み重なっていった
霊園に着くたびに、Tさんの胸をざわつかせるものがあった。
隣の区画は、いつもきれいに花が供えられている。うちは……と自分のお墓を見ると、雑草が少し伸びかけている。花も枯れている。
「ちゃんとできていない、という気持ちがずっとあって。でも体力的にも、経済的にも、毎月来るのは無理で。そのたびに自分を責めてしまうんです」
お墓参りが、義務になっていた。そして、罪悪感を補充しに行く場所になっていた。
それは、供養と呼べるものだろうか。
「海洋散骨」という選択肢を、初めて知った日
ある夜、布団の中でスマホを眺めながら「大分 墓じまい」と検索したTさんは、当協会のサイトにたどり着いたそうです。
「海洋散骨、っていう言葉は聞いたことがありました。でも、なんか……遺骨を海に捨てるみたいなイメージがあって、最初は抵抗感があったんです」
ところが、読み進めるうちに気持ちが変わっていった。
実は、遺骨を供養の対象とする慣習が始まったのは、戦後のことだ。それ以前、人々は位牌に手を合わせ、遺骨は自然に還すのが当たり前だった。海洋散骨とは、新しいものではなく、昔ながらの自然葬への回帰でもある。
「それを読んで……なんか、すごく楽になったんです。捨てるんじゃなくて、還すんだって」
翌朝、Tさんはページ下のLINEボタンを押した。
弟を説得したのは、意外にも「費用」だった
当協会との相談を重ねる中で、Tさんはひとつの壁にぶつかった。弟の説得だ。
「弟は最初、『先祖に申し訳ない』って渋ったんです。でも私、思い切って聞いたんです。じゃあ、あなたが毎年大分に来てお墓の管理するの?って」
弟は黙った。
さらに、墓じまいと海洋散骨にかかる費用を伝えると、「それだけで済むなら……」と態度が軟化した。毎年の管理費、定期的なお墓参りの交通費、将来的な修繕費——それらを続けることの方が、長い目で見れば大きな負担になる。
「費用の話をしたら、弟も現実的に考えてくれるようになって」
別府湾に、ふたりを還した日
墓じまいと海洋散骨を終えたのは、秋晴れの穏やかな日だった。
Tさんは福岡から日帰りで大分に来て、散骨に立ち会った。弟はリモートで、スマホの画面越しに見守った。
別府湾の上で、Tさんは思った。
「父も母も、海が好きだったんです。温泉も好きだったけど、大分の海が好きで、よく家族で釣りに行って……ああ、ここでよかったな、と思って」
散骨が終わり、花びらが海面に広がるのを見ながら、Tさんは静かに泣いた。
罪悪感ではなく、安堵の涙だった。
お墓は「守るもの」から「還す場所」へ
後日、Tさんからこんなメッセージが届いた。
「弟とも、久しぶりにちゃんと話せました。お墓のことで長年ぎくしゃくしていたのが、これで一区切りついた気がします。ありがとうございました」
お墓は、家族の絆の象徴であるはずだった。でも時に、それが家族の間に重荷や摩擦を生むこともある。
墓じまいと海洋散骨は、決して「諦め」ではない。新しい時代の、新しい供養の形だ。そして、とても古くからある、自然への回帰でもある。
あなたのご両親も、きっと子どもたちが仲良くいてくれることの方を、喜ぶのではないだろうか。
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