― 大分で行う少人数のペット骨葬(こっそう)という選択 ―

「自分が亡くなったら、棺桶にこの子の遺骨を入れてほしい。」
ペットを亡くされた方から、私たちは何度もこの言葉を聞いてきました。
それほどまでに、ペットは家族です。
子ども同然。人生のパートナー。
つらいときも、うれしいときも、いつもそばにいてくれた存在。
けれど現実として、棺桶に遺骨を入れることは原則できません。
また、日本のほとんどのお墓は、人とペットが一緒に入ることができない仕組みになっています。
「一緒のお墓に入りたい」
「最後まで一緒にいたい」
その想いと、制度や慣習の壁との間で、心が揺れる方は少なくありません。
ペットロスは、決して小さな悲しみではない
ペットを亡くしたときの悲しみ。
それは「ペットだから」と軽く扱えるものではありません。
食卓の足元にいない。
散歩の時間がなくなる。
帰宅しても、迎えてくれる存在がいない。
その喪失感は、日常のあらゆる場面にあらわれます。
ペットロスは、心の深いところにぽっかり穴があく感覚。
涙が止まらない日もあれば、何も感じられなくなる日もある。
それでも私たちは、
愛するペットのいない世界で、生きていかなければなりません。
だからこそ必要なのは、
「ただ火葬する」だけではない、心の区切りです。
火葬だけでは、心が追いつかないこともある
多くの場合、ペットは火葬され、骨壺に収められます。
それで終わりでしょうか。本当に必要なのは“整理”ではないでしょうか。
突然のお別れで、気持ちが追いつかないまま、
骨壺だけが自宅に残る。
どこか宙ぶらりんのまま、時間だけが過ぎていく。
「ありがとう」と言えなかった。
「もっとこうしてあげればよかった」
その想いを抱えたままでは、次のステージへ進むことが難しいのです。
僧侶による「ペット骨葬(こっそう)」という提案
そこで私たちは、大分で新しいお別れの形として、
僧侶による少人数のペット骨葬(こっそう)セレモニーをご提案しています。
火葬後のご遺骨を、
お花でいっぱいの祭壇に安置し、
僧侶が読経し、家族で静かに手を合わせる時間。
それは、単なる儀式ではありません。
・これまでの思い出を語る
・感謝を伝える
・「もう大丈夫だよ」と送り出す
その時間こそが、心の整理になります。
「家族だった」と胸を張って言えるお別れを
ペットは、法律上は“物”として扱われることがあります。
けれど、心の中では違います。
一緒に過ごした年月は、本物です。
・初めて家に来た日のこと
・病気と闘った時間
・最後に見せてくれた表情
それらすべてが、あなたの人生の一部です。
ペット骨葬は、
その存在を正式に、丁寧に見送るための時間です。
少人数で行うからこそ、
静かに、深く、心と向き合えます。
次のステージへ進むために
お別れは、忘れることではありません。
悲しみがゼロになることもありません。
けれど、きちんと見送ることで、
「ありがとう」と言えるようになります。
その一歩が、
愛するペットのいない世界を生きていく力になります。
「この子は幸せだったかな」
そう思えたとき、あなたの心は少し軽くなります。
大分でできる、あたたかなお別れ
私たちは大分で、
人と同じように丁寧に見送るペット骨葬をご提案しています。
豪華である必要はありません。
大切なのは、心がこもっていること。
・少人数での静かなセレモニー
・僧侶による読経
・花に囲まれた祭壇
・家族だけの時間
「ちゃんと見送れた」
そう思えることが、何よりの供養です。
それでも、どうしても一緒にいたい方へ
「自分が亡くなったら、一緒にしてほしい」
その気持ちは、とても自然です。
ですが現行のルールでは、棺桶の中に遺骨を入れることはできません。
また、ほとんどのお墓で人とペットは一緒に入れません。
だからこそ、生きている今のうちに、
ペットとのお別れをどうするかを考えておくことも大切です。
悲しみを抱えたままではなく、
感謝とともに送り出す。
それが、あなたのこれからの人生を守ります。
ペットは家族。だから、きちんと送る。
ペット骨葬は、
“過去を閉じるため”ではありません。
“未来へ進むため”の儀式です。
愛する存在を見送る時間は、
あなたの人生を支える時間でもあります。
大分で、心を整えるお別れを。
少人数のペット骨葬で、
あなたと、あなたの大切な家族に、
静かな区切りの時間を。
いつか訪れるその日のために。
そして、今まさに悲しみの中にいるあなたへ。
私たちは、そっと寄り添います。


