
「子どもたちに負担をかけたくない」
そう言って、ある高齢のお父さんが決断したのは、長年守り続けてきたお墓の墓じまいでした。
大分県でも、今「お墓を持ち続けるべきか」「墓じまいをすべきか」で悩む家庭が増えています。核家族化や少子高齢化で跡継ぎがいなくなり、さらに子ども世代が県外に移住しているため、墓守が難しい現実があるのです。
今回の記事では、一人の父親が「伝統」と「家族への思い」の間で揺れながらも、最終的に墓じまいと海洋散骨を選んだ事例を紹介します。
父の悩み ― 子どもに背負わせるものは何か
そのお父さんは70代後半。大分市郊外に先祖代々のお墓を持っていました。しかし、息子も娘も県外に住んでおり、年に数回のお参りさえ難しい状況です。
「このまま自分が亡くなれば、子どもたちに墓守を任せることになる。都会に暮らしている彼らには、重荷でしかないだろう」
そう思った父は、墓じまいを検討し始めました。しかし親戚からは「ご先祖に失礼だ」「墓をなくしたら必ず後悔する」と反対の声も上がります。父自身も迷いました。
菩提寺からの反対と決断の背景
菩提寺に相談すると、住職からも「墓じまいは軽々しくするものではない」と忠告を受けました。
それでも父は、冷静に現実を見つめます。お墓を守る人がいなくなったとき、結局は子どもたちが「墓じまい」という大きな負担を背負うことになる。であれば、自分の意思で整理しておくことこそが「最後の親孝行」だと考えたのです。
父は「墓じまい」と同時に、「仏壇処分」も進めることを決めました。大分の実家にある仏壇も、子ども世代には引き継げません。
海洋散骨という答え
では、お墓の中の遺骨はどうすればよいのか。父が選んだのは、海洋散骨でした。
「海ならどこにいてもつながれる。子どもたちが大分に帰ってこれなくても、海を見れば私を思い出してくれる。それで十分だ」
父の言葉に、子どもたちは涙ぐみながらも頷いたといいます。
海洋散骨は、単なる「遺骨の処分方法」ではありません。自然に還るという古来の文化に立ち返る選択です。昭和30年代に火葬と墓地埋葬法が普及するまでは、多くの地域で土葬が一般的でした。人は自然に還り、供養は仏壇や位牌など「形代」を通じて行われていたのです。
つまり、海洋散骨は「新しい供養」ではなく「昔ながらの供養の復活」とも言えるのです。
墓じまい・仏壇処分を終えた父の言葉
墓じまいを終えた後、父は静かに語りました。
「肩の荷が下りたよ。これで子どもたちに面倒をかけずに済む。あとは残りの人生を、感謝して生きるだけだ」
親の「墓じまい」や「仏壇処分」は、子ども世代にとって重いテーマです。しかし、親自身が元気なうちに選択してくれることで、子どもは将来の不安から解放されます。
父の決断は、家族にとって「安心」をもたらす大きな贈り物となったのです。
大分で広がる「負担をかけない選択」
大分でも、「墓じまい」「仏壇処分」「海洋散骨」というキーワードで検索する人が急増しています。
背景には、
- 子どもに負担をかけたくない親の思い
- 跡継ぎ不在という現実
- 自然に還りたいという価値観の変化
があります。
大切なのは、「何を残すか」ではなく「どう心を伝えるか」。お墓や仏壇がなくても、感謝と敬意はしっかりと子ども世代に受け継がれます。
親の最後の決断が、子の安心になる
今回の事例から学べるのは、「墓じまいは親が元気なうちに考えるべき」ということです。親の意思で整理しておけば、子ども世代は重荷を背負わずに済みます。そして、海洋散骨という方法は、親の「自然に還りたい」という思いと、子の「どこからでも祈れる」という安心を両立させる答えになるのです。
「お墓をどうするか」「仏壇をどうするか」悩んでいる方へ。
まずは現実を直視し、そして「家族にとって後悔のない形」を考えてみませんか?