
反対された海洋散骨…でも、父の「願い」
「遺骨が無くなると後悔する」そんな考えを持ち、海洋散骨に反対する僧侶もいます。しかし、ある男性は「お墓を持たない供養」を選びました。
男性が海洋散骨の資料を取り寄せたのは、“ひとり娘にお墓の負担をかけたくない”という意思からでした。その男性が、資料請求した後、しばらくして亡くなったと、娘さんから連絡が入り、「父の生前の意思」で海洋散骨を執り行った時の話です。
遺骨がないと後悔しますよ
「遺骨を残さないと必ず後悔しますよ」
そう語る僧侶や仏具店の人がいます。今回のケースも、男性が亡くなった後、娘さんに僧侶がそのような言葉を投げかけました。けれども、この言葉には誤解があります。
仏教の本来の教えに「遺骨を供養の対象とする」という考え方は存在しません。
考えてみてください。昔の埋葬では、土葬が一般的で、遺骨に特別な扱いはせず、ほとんどが全てを自然に還していました。つまり、遺骨への執着は比較的近年になって形づくられた文化なのです。もしくは、お墓ビジネスに執着するお寺や仏具店のセールストークなのかも知れません。
海洋散骨という選択
時代は変わり、多様な価値観が受け入れられるようになりました。形としてのお墓の有無よりも、遺骨への向き合い方を考える人が増えています。海洋散骨を選ぶ家族は、「遺骨が無いと供養できない」とは思っていません。海洋散骨は、自然への回帰であり、先祖や故人を想う心を大切にする方法です。遺骨には執着はせず、それでいてきちんと供養できる選択でもあるのです。
自然葬の社会的役割
古くからの自然葬が尊重される社会へ
「自然に還ること」に価値を見出す人々が増えています。海洋散骨は単なる葬送方法ではなく、世界中で繋がっている海が故人と生者をつなぐ場所となります。先祖を敬う心に変わりはない。その思いを、形にできるのが海洋散骨です。