仏壇の前に座ったのは、どれくらいぶりだっただろうか。
ふと、実家に立ち寄った日のこと。
埃をかぶった仏壇が、ひっそりと家の片隅に佇んでいた。
あの日から、心のどこかに引っかかっていた。
「この仏壇、どうするんだろう。」
数日後、遠方に暮らす息子から電話があった。
「父さん、仏壇、どうするんだ?」
正直、答えに詰まった。
仏壇を整理するという選択
母は高齢になり施設へ。実家をこのまま守ることも難しくなってきた。
子どもたちはみな、都会で自分の家庭を持っている。
仏壇の存在は、私にとっても、
家族にとっても、大切なものである一方で
「現実的に、維持は難しい」
そんな思いも隠しきれなかった。
「仏壇を整理する。」
決意したものの、心はどこかざわついていた。
閉眼供養は必要か?
仏壇の整理について調べるうちに知ったのが、
「閉眼供養」という儀式だった。
仏壇や位牌に宿っている魂をご本尊に戻し、
仏壇を「ただの物」として処分できるようにするための正式な手続きだという。
けれど、正直なところ、
私はそこまで宗教儀礼に強いこだわりがあったわけではない。
むしろ、どちらかというと「形式よりも気持ち」という考えに近かった。
「本当に閉眼供養は必要なのか?」
何度も何度も、自問した。
必要だったのは、心の整理
考えた末、私は一つの答えにたどり着いた。
「自分が納得できるかどうか」
それがすべてだと。
仏壇を処分する行為自体に、罪悪感を持つ必要はない。
けれど、
心の中でけじめをつけることは、私にとって必要だった。
自分なりの「閉眼供養」
私は、お坊さんを呼ぶことはしなかった。
その代わり、
仏壇の前に座り、深く、静かに手を合わせた。
「今までありがとう。
これからも、どうか見守っていてください。」
そう心の中で語りかけた。
それだけで、胸の中に、
温かく、確かな区切りが生まれた。
形ではなく、想いを受け継ぐ
仏壇を手放しても、
家族の思い出が消えるわけではない。
ご先祖様への感謝が薄れるわけでもない。
むしろ、形にとらわれず、
日々の暮らしの中でふと手を合わせたり、
空を見上げて感謝の気持ちを送ったり。
そんな自然なかたちで、
ご先祖様とつながっていけることに気づいた。
そして未来へ
今、私はときどき、海を眺めに行く。
広がる水平線を見ながら、
心の中で、そっと語りかける。
「父さん、母さん、ありがとう。」
それだけで、不思議と力が湧いてくる。
形ではなく、想いが、
私を支えてくれている。
仏壇整理に悩んだら、自分らしい答えを
仏壇を整理することは、
過去を手放すことではない。
想いを胸に、
新しい一歩を踏み出すための、
大切な儀式だ。
閉眼供養をするかしないかは、
誰かに決められるものではない。
自分自身が、心から納得できるかどうか。
それだけを、大切にしてほしい。
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