仏壇を手放すとき、閉眼供養は必要ですか?(大分市60代女性) - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

仏壇を手放すとき、閉眼供養は必要ですか?(大分市60代女性)

〜ある家族の、心の整理の物語〜


仏壇の前に座ると、いつもほっとした。
小さな頃、祖母が手を合わせる背中を見ながら、私もまねをして手を合わせた。
「おじいちゃん、今日も一日守ってね」
そんなふうに、心の中で語りかけるのが日課だった。

あれから何十年も経った。
家族は少なくなり、家も古くなった。
気づけば、仏壇を守る人は、私ひとりだけになっていた。


仏壇を整理しようと思ったとき

ある日、ふと考えた。
「この仏壇、これからどうしたらいいのだろう?」

子どもたちは遠方で暮らしている。
今の私の暮らしに、これだけ大きな仏壇を置き続けることは難しい。

施設に入所する時、
誰かに引き継がせるのも、もう現実的ではない。

「仏壇を整理しよう」
そう思った瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。
まるで、大切な思い出まで手放してしまうような気がして。


閉眼供養、しなければいけないの?

仏壇を処分するとき、よく耳にする言葉がある。
それが「閉眼供養」だ。

閉眼供養とは、仏壇や位牌に宿っている魂を、
ご本尊に戻し、仏壇を「ただの物」に戻す儀式のこと。

お坊さんに来てもらい、読経をあげてもらう。
昔ながらの、仏教の正式な作法だ。

でも、私は悩んだ。

「今の私に、そこまでの形式は必要なのだろうか?」
「私は、おじいちゃんたちを、ちゃんと想っている。
それだけでは、だめなのかな?」


必要なのは、形式じゃなくて「心の整理」

たくさん調べた。
いろいろな人の話を聞いた。

そして、気づいた。

閉眼供養をするかどうかは、気持ち次第だ。
宗教儀礼にとらわれる必要はない。
大切なのは、自分の心が納得できるかどうかだ。

  • きちんと儀式をして区切りをつけたい人もいる。
  • そっと手を合わせて、心の中でお礼を言うだけで十分な人もいる。

どちらも間違いじゃない。
それぞれが、それぞれのやり方で、
思い出に「ありがとう」を伝えればいいのだ。


私が選んだ別れのかたち

私は、仏壇の前に座った。
静かに目を閉じた。

そして、声には出さず、心の中でつぶやいた。

「おじいちゃん、おばあちゃん。
今までずっと、ありがとう。
これからは心の中で、ずっと一緒にいてね。」

手を合わせ、深く、深くお辞儀をした。

それが、私にとっての閉眼供養だった。


仏壇を手放すことは、思い出を手放すことではない

仏壇を整理する。
それは、過去を切り捨てることではない。
ましてや、ご先祖様を忘れることでもない。

仏壇という「形」にとらわれず、
心の中で、いつでも会える。
どこにいても、手を合わせられる。

そんな自由な「つながり方」があってもいいと思う。


そして、新しいつながりへ

最近、墓じまいをして、お墓の中の遺骨を海洋散骨で自然に還した。

それからは、海が私のお墓となった。海を眺めるのが好きになった。

青く、どこまでも広がる海。
その海に向かって、ふと手を合わせることがある。

「おじいちゃん、おばあちゃん、今日もありがとう」
そんなふうに、そっと心でつぶやく。時には、「お願い事をきてもらい」、時には「悩みを聞いてもらう」こうして、私と先祖との「対話」が始まった。これまで仏壇でしてきたことと全く同じだ。

もしかしたら、仏壇がなくなったからこそ、
私は今、もっと自由に、もっと素直に、
ご先祖様と向き合えるようになったのかもしれない。


あなたにとって必要なのは、閉眼供養ですか?それとも…

仏壇や位牌を手放すとき、
閉眼供養をするか、しないか。
それは、人それぞれの選択です。

大切なのは、

  • 自分の心が納得できるか

それだけです。

儀式をしなくても、
心の中で「ありがとう」を伝えればいい。
それこそが、本当の意味での「供養」ではないでしょうか。


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