〜ある家族の、心の整理の物語〜
仏壇の前に座ると、いつもほっとした。
小さな頃、祖母が手を合わせる背中を見ながら、私もまねをして手を合わせた。
「おじいちゃん、今日も一日守ってね」
そんなふうに、心の中で語りかけるのが日課だった。
あれから何十年も経った。
家族は少なくなり、家も古くなった。
気づけば、仏壇を守る人は、私ひとりだけになっていた。
仏壇を整理しようと思ったとき
ある日、ふと考えた。
「この仏壇、これからどうしたらいいのだろう?」
子どもたちは遠方で暮らしている。
今の私の暮らしに、これだけ大きな仏壇を置き続けることは難しい。
施設に入所する時、
誰かに引き継がせるのも、もう現実的ではない。
「仏壇を整理しよう」
そう思った瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。
まるで、大切な思い出まで手放してしまうような気がして。
閉眼供養、しなければいけないの?
仏壇を処分するとき、よく耳にする言葉がある。
それが「閉眼供養」だ。
閉眼供養とは、仏壇や位牌に宿っている魂を、
ご本尊に戻し、仏壇を「ただの物」に戻す儀式のこと。
お坊さんに来てもらい、読経をあげてもらう。
昔ながらの、仏教の正式な作法だ。
でも、私は悩んだ。
「今の私に、そこまでの形式は必要なのだろうか?」
「私は、おじいちゃんたちを、ちゃんと想っている。
それだけでは、だめなのかな?」
必要なのは、形式じゃなくて「心の整理」
たくさん調べた。
いろいろな人の話を聞いた。
そして、気づいた。
閉眼供養をするかどうかは、気持ち次第だ。
宗教儀礼にとらわれる必要はない。
大切なのは、自分の心が納得できるかどうかだ。
- きちんと儀式をして区切りをつけたい人もいる。
- そっと手を合わせて、心の中でお礼を言うだけで十分な人もいる。
どちらも間違いじゃない。
それぞれが、それぞれのやり方で、
思い出に「ありがとう」を伝えればいいのだ。
私が選んだ別れのかたち
私は、仏壇の前に座った。
静かに目を閉じた。
そして、声には出さず、心の中でつぶやいた。
「おじいちゃん、おばあちゃん。
今までずっと、ありがとう。
これからは心の中で、ずっと一緒にいてね。」
手を合わせ、深く、深くお辞儀をした。
それが、私にとっての閉眼供養だった。
仏壇を手放すことは、思い出を手放すことではない
仏壇を整理する。
それは、過去を切り捨てることではない。
ましてや、ご先祖様を忘れることでもない。
仏壇という「形」にとらわれず、
心の中で、いつでも会える。
どこにいても、手を合わせられる。
そんな自由な「つながり方」があってもいいと思う。
そして、新しいつながりへ
最近、墓じまいをして、お墓の中の遺骨を海洋散骨で自然に還した。
それからは、海が私のお墓となった。海を眺めるのが好きになった。
青く、どこまでも広がる海。
その海に向かって、ふと手を合わせることがある。
「おじいちゃん、おばあちゃん、今日もありがとう」
そんなふうに、そっと心でつぶやく。時には、「お願い事をきてもらい」、時には「悩みを聞いてもらう」こうして、私と先祖との「対話」が始まった。これまで仏壇でしてきたことと全く同じだ。
もしかしたら、仏壇がなくなったからこそ、
私は今、もっと自由に、もっと素直に、
ご先祖様と向き合えるようになったのかもしれない。
あなたにとって必要なのは、閉眼供養ですか?それとも…
仏壇や位牌を手放すとき、
閉眼供養をするか、しないか。
それは、人それぞれの選択です。
大切なのは、
- 自分の心が納得できるか
それだけです。
儀式をしなくても、
心の中で「ありがとう」を伝えればいい。
それこそが、本当の意味での「供養」ではないでしょうか。
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