「お墓は海に還しました」母と娘が選んだ、新しい供養のかたち墓じまい海洋散骨 - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

「お墓は海に還しました」母と娘が選んだ、新しい供養のかたち墓じまい海洋散骨

先日、日出町から80代のお母さんと40代の一人娘の親子が、私たちのもとに相談に訪れました。
娘さんは穏やかで聡明な方。お母さんは控えめながら、芯のあるしっかりとした女性でした。
お二人に共通していたのは、“お墓のこれから”について真剣に考えていたことでした。


「娘に負担をかけたくない」――母の想い

お母さんの実家には、昔ながらの立派なお墓がありました。
山奥の、かつては多くの親族が集った場所です。けれど時代は変わり、いまではその地域に暮らす人は少なくなりました。過疎化の地域です。山の斜面に建てられたお墓へ行くには、長い坂道を登らなければならず、高齢のご自身でさえ苦労されているということでした。最近墓参りしたのは5年前と言ってました。

「私はもういいんです。でも、娘にこのお墓を引き継がせることだけはしたくないんです。」
お母さんは静かに、でもはっきりとそう語りました。

それは、親としてのケジメだったのでしょう。


「お母さんの代で終わりにしてほしい」娘の願い

一人娘である娘さんも、同じ気持ちを抱えていました。
大分市内で仕事をしながら、自分もいずれ年を重ねていく中で、実家のお墓を守るのは現実的ではないと感じていたのです。祖母方の実家の墓まで自分の息子に負担を掛けたくないと言います。

「正直、母の代で墓じまいしてもらえると安心します」
そう言った娘さんの言葉に、お母さんは少し驚いたような表情を浮かべながら、
「そうよね…」とつぶやきました。

親子の気持ちは、重なっていたのです。けれど、そう簡単に決断できる話ではありませんでした。


立ちはだかる“親戚の壁”

このようなケースでよくあるのが、親族からの反対です。
「うちは代々この土地を守ってきたのだから」
「お墓は子孫が守っていくべき」
そんな「伝統の重さ」が、話し合いを難しくすることがあります。

今回も、お母さんの兄弟や親戚からは反対の声が上がりました。
けれど、母娘は繰り返し話し合い、丁寧に親族の理解を得ていきました。

「自分たちの代で、できるかぎりのことをする」
その真摯な姿勢に、徐々に親族も折れていったのです。


決断:墓じまい、そして海へ

最終的にお母さんと娘さんは、
山奥のお墓を墓じまいし、
中に納められていたご先祖のご遺骨をすべて「海洋散骨」というかたちで自然に還すことを選びました。

遺骨は粉骨され、母娘が見守る中で、広い海へ静かに還っていきました。
風が吹き抜ける穏やかな海。
その時、娘さんはこうつぶやきました。

「今日からは、私と私の後に続く息子たちにとってのお墓は“海”になります」


海に還ったあと、始まる“新しい対話”

墓じまいをした後、娘さんからこんなお話を伺いました。

「海を見れば、先祖がそこにいるような気がします。
お願いごとがある時、悩みがある時、私は海に向かって話しかけています。
不思議と心がすっと軽くなるんです」

それはまるで、ご先祖との新しい“対話”のかたち。
お墓とい「場所」ではなく、海に行けば
どこにいても、心の中でつながる供養

そしてそれは、
「世界中どこにいても、ご先祖と会える」
という、今の時代に合った自由でやさしい供養でもありました。


「供養とは、心のあり方」新しい価値観へ

お墓がなくなると、供養できないのでしょうか?
決してそんなことはありません。

仏壇や位牌がなくても、
命日にふと空を見上げたり、
海に足を運んで手を合わせたり。
それはすべて、立派な供養です。

形にとらわれず、
想いでつながる供養
それが、これからの時代の「新しい供養のかたち」なのだと思います。


親の覚悟と、娘の願いで墓じまいをして“新しい供養のカタチ”へ

今回の母娘のように、
「自分の代でお墓を閉じる」という決断には、
少なからず葛藤があります。

けれどそれは、
「子に負担を残さない」という親のやさしさであり、
「親の想いを尊重したい」という子の理解の結晶でもあります。

お墓を閉じた後でも、
家族のつながり、ご先祖への感謝は、決して途切れません。
むしろ、より自由に、より深くなっていくことさえあるのです。

「お墓はなくても、祈りは続いていく」
そう信じられる今だからこそ、
“海をお墓にする”という新しい選択は、多くの人の心に寄り添ってくれることでしょう。

心の荷を下ろして、新しい供養のカタチへ

#墓じまい #日出町 #海洋散骨 

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