数年の間、悲しみの中にいる母親の節目をつけてあげたいという娘さんからの相談でした。
数年前に亡くなった父の遺骨をずっと自宅供養しており、まるで愛するご主人がまだそこに居るかのようにお茶をあげたり話しかけたりしているとのこと。人は死を受け入れ、悲しみを乗り越えて、次のステージに進む必要があります。いつまでも遺骨に対して心をとらわれて、そこから離れられないということではなく、いつか悲しみに節目をつけて次のステージに進みます。今回は、そんなお手伝いをして来ました。
私たちは古より全てが自然に還る埋葬をしてきました。遺骨が残すようになったのは、いまから約70年程前、高度成長期以降、火葬+骨つぼ→石のお墓の中へ納めるという文化になりました。遺骨に手を合わせるということはそれまで日本には無かったのです。手を合わせるのは常に「仏壇」「位牌」でした。
そして同時に、死に対しても学ぶ機会は少なくなっていきました。家族を自宅で最期まで看取り見送るという機会も失われていき、人が亡くなる時の大部分は病院となりました。死は病院へと追いやられ、小さなころから死を目の前で見ることも少なくなり、死を受け入れる心の準備ができない現代です。いつまでも悲しみの中に居る人も増えています。
海洋散骨はそんな問題に節目をつけてくれるかも知れません。海はとにかく広く、悲しみや執着などの心の感情すべてを受け入れてくれるような大きさを持っています。地球の70%以上を占める大自然「海」に愛する人が還っていく様を体感すると、やがて自分も自然に還っていくことを実感します。つまり、心の節目をつけてくれます。
今回は、そんな母娘を海洋散骨を御案内しました。娘さんの母親に対する愛を感じました。そして、散骨後、お母さんの笑顔が印象的でした。