78年前、終戦の時、中国には多くの日本人がいました。中国大陸に残された日本人の中には、そのまま中国に残る選択をした日本人もいました。今回の依頼者は、その時に中国に残る選択をした女性の子孫でした。
中国に残った女性は依頼者の祖母です。祖母の故郷は大分県大分市でした。祖母は中国で母を産み育てました。そして、、、、やがて、依頼者が生まれました。
『26年前、母は私を連れて日本へ戻って東京で暮らし、東京で亡くなりました。大分には私が子供の頃に、祖母の先祖墓をお参りした記憶があります。母のルーツである大分に還してあげたいと思い、大分で海洋散骨を選びました。』と依頼者は静かに語りました。
依頼者は中国で生まれ育ったため、日本語と中国語の両方を話します。東京から大分まで飛行機でお母さんの骨つぼを持って、当協会の事務所まで来ました。たまたま事務所から歩いて数分のところにある、日航ホテルを予約していたのは偶然でした。そして、ご遺骨をお預かりして、翌日には海洋散骨を執り行いました。
当日の海は、ほとんど風もなく絶好の散骨日和でした。