私が大分県で“墓じまい”と“海洋散骨”を始めた理由 - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

私が大分県で“墓じまい”と“海洋散骨”を始めた理由  

大分で海洋散骨を始めた理由
大分で海洋散骨を始めた理由

皆さんこんにちは。まるっと終活大分支援協会の代表理事の木原です。この記事では、私が現在の活動に至るまでの経緯をお伝えしようと思います。大分出身の方には、共感していただけるのではないかと思います。都会の生活の中で、自分の老後や死後のことを考えるとき、「故郷の大分」について考え直すきっかけになればと思います。

【目次】

「故郷の大分に帰りたい」という気持ち

渦巻く“意地”と“プライド”

多くの方が抱える“お墓”と“供養”の問題

まとめ

「故郷の大分に帰りたい」という気持ち

大分県で生まれ育った方で、進学や就職をきっかけに都心に移り、そこで根を張り、生活を営んでいる方は多くいらっしゃいます。
私自身もかつては上京組で、20年ほど横浜で暮らしました。

その間、「故郷の大分に帰りたい」という気持ちはずっと心の中にありました。

今思うと、横浜で仕事をし、結婚し、子どもたちを育てる中で、その思いを封じ込めていたのだと思います。
というのも、私の中には「上京したからには都会で成功したい」という意地がありました。

「都会で成功するということは、故郷を捨てること」
そんな思いと
「故郷の大分に帰りたい」

という相反する気持ちが心の中に渦巻いていたような気がします。

渦巻く“意地”と“プライド”

大分県から上京した私にとって、故郷に帰ることは敗北を意味することでもありました。「故郷に帰るなんて、プライドが許さない」という気持ちもありました。

帰りたくても帰れない、そんな思いが心に渦巻く中で、ふと「このままでは、一生後悔することになる」と気づきました。

そして横浜から大分にUターンし、新たな生活を始めたのです。

多くの方が抱える“お墓”と“供養”の問題

大分県で高齢化した両親と暮らす中で、私自身が直面したのが“お墓”と“供養”の問題です。

「お墓を継承する人がいない」という悩みを、多くの方が抱えていることも知りました。
私は、都会で暮らす上京組の方たちの気持ちが、痛いほどわかります。

帰りたいけれど、帰れない・…。そして、いつも心のどこかに、故郷の存在がある。

そのような、複雑な気持ちに寄り添いたいと思い、墓じまいや海洋散骨に関する活動をはじめました。

私の場合は、生きているうちに、故郷の大分に帰りました。ただ、帰郷のタイミングは人によってそれぞれだと思います。仕事をリタイアしてから大分に帰郷する方もいます。そして、亡くなった後に、海洋散骨という形で、大分の海での供養を望まれる方もいます。そんな方も増えています。

時は行動成長期、大分県から上京・上阪して行った人たちは団塊の世代。もう70代。若い頃の志を立てて上京し、そこで恋をして結婚。子供を育て家を建て、いつのまにか、故郷の大分県に帰れない年齢となり、生涯を東京で終える・・・・。そして、、、父の遺言で大分に散骨して欲しいと言われて、、、という団塊ジュニア世代の方からの依頼のここ最近多いです。

「生きているうちは都会で精いっぱい頑張った。亡くなってからは、故郷の大分の海で、ゆっくり安心して眠りたい」という願いを持つ方も増えているのです。

まとめ

私は大分から上京し、都会で20年暮らした経験から、上京組の方たちの想いがよくわかります。最近話題の墓じまいは、「故郷じまい」という側面もあると思います。ただ、故郷を捨てたり、忘れる必要はないと思うのです。どこにいても故郷の大分とつながれるのが“海洋散骨”です。だって、海は世界中どこにいてもつながっていますから。

大分県でのお墓の“墓じまい”や“海洋散骨”の無料相談はお気軽にお問合せください。

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