「母を、大分に還してあげたいんです」
そう語ってくれたのは、千葉県からご依頼くださった20代の姉妹。
お二人の母は大分県竹田市のご出身で、若い頃に上京し、そのまま関東で暮らし、家族を築かれました。
姉妹にとって大分は“母のルーツ”ではあるけれど、自分たちには縁も思い出もない場所。
けれど——
「初めて来た大分が、とても素敵な場所で。母がここで育ったんだと思うと、自然と好きになれました」
■ 自然葬を望んだ母の想い
生前、母はたびたびこう語っていたそうです。
「うちは娘だけだから、お墓はいらない。私は自然に還りたい」
その言葉は、冗談交じりでもなく、かといって重すぎるものでもなく、家族の中では“当たり前”として共有されていたといいます。
「だから、母が亡くなったとき、迷いはありませんでした。母の望んだ場所に、望んだかたちで還してあげたかった」
■ 初めて訪れた“母の故郷”
散骨の日、姉妹は前日に大分入り。
地元の宿に泊まり、母のルーツである竹田市を訪ねました。
「母の生家はもうなかったけど、街並みや空気がすごく優しくて。“ここで母は笑っていたのかな”って想像するだけで、涙が出そうでした」
■ 海へ還る、母との別れ
今回はお見送り海洋散骨というかたちでした。
姉妹は平日に休みを取り、大分を訪れました。当日は午後から雨の予報だったので、朝早く「朝凪」の時間帯に出航しました。
「母がいた景色に、ちゃんと戻れた気がしました。これでようやく、母と自分たちも前に進めそうです」
■ 墓がないからこそ、心は軽くなる
「お墓がないことに、不安はないんです。母が“それでいい”と言ってくれていたから」
姉妹の言葉には、母の想いをしっかりと受け取った、芯のある優しさがありました。
「もし、私たちがこの先結婚して名字が変わっても、母のことはちゃんと覚えていられる。場所じゃなくて、気持ちがあれば大丈夫」
女性の生き方、家族のかたち、そして供養の方法も、大きく変わり始めています。
誰かの希望を叶えるために、誰かを縛らないために選んだ“自然葬”という選択は、これからの時代に必要な供養のヒントかもしれません。
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