親や祖父母が大切にしてきた仏壇を、ある日、子世代が引き継ぐことになる。
ただそのとき、感じるのは「ありがたさ」だけではありません。 「大きすぎる」「使い方がわからない」「引き取る場所がない」——そんな現実的な悩みのほうが先に立つこともあります。
とはいえ、単に「いらないから捨てる」というわけにはいかないのが“仏壇”という存在です。
■ 仏壇に宿るのは、ご先祖への感謝の記憶
仏壇には、位牌や遺影、思い出の品が収められていることが多く、それらを通して手を合わせる時間は「自分と家族の歴史をつなぐ時間」でもありました。
たとえ普段は見向きもしなくても、盆や命日になると、なんとなく手を合わせたくなる——それが仏壇の“存在感”です。
しかし、時代とともに家族構成や暮らし方が変わり、仏壇そのものを生活に馴染ませることが難しくなってきています。
■ 「ありがとう」で終わらせる、という選択
仏壇処分を考えるときに大切なのは、処分の方法よりも「気持ちの整理」です。
「これは親のためにあった仏壇。私は私のかたちで感謝を伝えたい」
そう思えたとき、仏壇という“物”を手放すことが、決して不義理ではなくなるのです。
たとえば
- 家族で手を合わせる場を作る
- 小さなメモリアルスペースを作る
“ありがとう”をかたちにして終えることで、仏壇処分は「感謝の引き継ぎ」になります。
■ 「処分したら祟られる?」という不安について
仏壇処分の相談でよく聞かれるのが、「閉眼供養をしないといけないのか?」「魂を抜かないと祟りがあるのでは?」という不安です。
でも、多くの方はすでに菩提寺との関係がなく、宗教的な決まりごともあいまいです。
そんなときにこそ大切にしたいのは、恐れではなく感謝で仏壇を見送るという姿勢。
閉眼供養をするかしないかに絶対の正解はありません。 大切なのは「自分の心が納得するかどうか」——それが、現代の供養のあり方です。
■ 「仏壇がなくなって寂しくないですか?」という問い
仏壇を処分した後、少し空いたスペースを見て寂しさを感じる方もいます。 でもそれは、「何かが終わった」のではなく、新しい供養のかたちが始まったということ。
写真を見て手を合わせたり、海を見て語りかけたり——仏壇がなくても、故人と向き合う時間は作れます。
仏壇処分は“供養の終了”ではありません。 それは、「供養の自由化」の第一歩です。
■ 仏壇処分は後悔する?
仏壇を処分するというのは、“過去を捨てる”行為ではありません。 それは、「これまで大切にしてきた想いを、これからの生き方につなげる」という、新しい引き継ぎの方法です。
恐れずに、でも丁寧に。 形式よりも気持ちを大切に、仏壇を見送る。
そんな時代の供養が、すでに静かに始まっています。