「涙も出なかった私が、初めて泣けた日」──海洋散骨で心がほどけた3つの遺族の… - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

「涙も出なかった私が、初めて泣けた日」──海洋散骨で心がほどけた3つの遺族の…


【海洋散骨とグリーフケア】

大切な人を亡くしたとき、心の中に押し込めた感情が、なかなか表に出せないことがあります。
日常は流れていくのに、自分だけが取り残されたような——そんな感覚に包まれていた方が、「海洋散骨をきっかけに心が軽くなった」と話してくれました。

ここでは、実際に海洋散骨をされた3名の遺族の方の声をご紹介します。
“自然に還す”という選択が、どのように心の整理と癒しにつながったのか。
供養とは何か、自分にとっての「グリーフケア」とは何かを見つめるヒントになれば幸いです。


【体験談①】

「涙も出なかった私が、初めて泣けた日」

──日田市50代女性/母の散骨を乗船で

母を亡くして1年。
悲しいはずなのに、なぜか涙が出ませんでした。
母のことを思い出すと胸がぎゅっと締め付けられるようで、むしろ避けるようになっていた私。
家にはお骨がそのまま残っていて、見るたびに心の奥が冷たくなるような、そんな日々が続いていました。

妹と話し合い、「母の希望通り、海へ還そう」と決めてからも、どこか他人事のような気持ちで準備をしていました。母は、私たち姉妹のためお墓の選択はしませんでした。
でも、当日、船の上で母の骨を海に還した瞬間。
青く広がる海に向かって、「お母さん、ありがとう」と声をかけた瞬間。
ようやく、私は心から泣くことができました。

「ようやく“喪失”と向き合えた。散骨は、私にとってのグリーフケアだったんです」


【体験談②】

「6歳の息子のひと言で、海に還す意味がわかった」

──別府市30代男性/父と愛猫の散骨を代行で

父を亡くし、子どもに“死”をどう伝えればよいか悩んでいました。
うちは神道で、位牌の代わりに霊璽(れいじ)がありますが、お墓はなく、父も「自然に還してほしい」と言っていました。

海洋散骨をお願いして、当日は家族で海に行きました。目の前の別府湾です。
代行でしたが、空を見ながら父の話をしていたとき、6歳の息子が言ったんです。

「おじいちゃん、空と海のあいだにいるんやなあ」

その言葉を聞いて、ふっと肩の力が抜けました。
「死を教える」って難しいけれど、海という場所は、子どもにも伝わる優しさを持っているんだと気づきました。


【体験談③】

「やっと手放せた気がした」

──杵築市60代女性/母を手元供養して6年

母の遺骨を、6年間ずっと手元に置いていました。
離婚後、生涯独身だった母は、家族の中心であり、私たち姉妹にとっては心の支えでした。
亡くなったあとも、どこにも行かせたくなくて、ずっと一緒にいました。

けれど、その重さに私自身が苦しくなってきたんです。
誰かに「もう手放してもいいんじゃない?」と言われるたびに、自分を責めていました。

勇気を出して、船を貸し切って姉と2人で見送りました。
風の中で、母を抱えていた肩の荷がすーっと下りていくような感覚。
たぶん、母の遺骨じゃなくて、“執着”を手放したんだと思います。


【グリーフケアとは、悲しみに蓋をしないこと】

グリーフ(悲嘆)は、乗り越えるものではなく、寄り添いながら共に生きていくものとも言われています。
悲しみがあるのは、愛していた証。
海洋散骨は、その悲しみにそっと寄り添い、形にするためのやさしい儀式です。

手放すことで、思い出がより近くに感じられるようになる——
それは、供養の“終わり”ではなく、“新しいつながり”の始まりです。


【まとめ】

海洋散骨は、遺骨を手放す儀式であると同時に、心の執着を少しずつゆるめていく「お見送りの儀式」でもあります。

  • 泣けなかった人が泣けた
  • 話せなかった人が語り出せた
  • 苦しみから、静かな優しさに変わった

海に還すという選択は、故人の願いだけでなく、遺された人の心の癒しにもつながっています。

「お別れ」は、いつかきっと「ありがとう」に変わる。
その日が、散骨という儀式を通して訪れるなら、それはとても自然なグリーフケアのかたちなのかもしれません。

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