【墓じまいをしたらもう会えない?】
「墓じまいをしたら、ご先祖さまに失礼じゃないか」
「供養が終わってしまうのでは?」
そんな声をよく耳にします。
けれど、墓じまいとは「供養をやめる」ことではなく、むしろ「新しいかたちで供養を続ける」ための前向きな選択です。
今回は、実際に墓じまいを決断された方のエピソードとともに、“想いを受け継ぐ供養”の本質についてお伝えします。
【実例紹介】
■ 大分県国東市・70代男性
両親と祖父母が入っていた先祖代々のお墓。山間部にあり、草刈りや掃除が年々困難になっていた。
子どもたちは県外に暮らしており、「いつか誰かが墓じまいをしないといけない」と思い続けてきた。
「悩みましたよ、何十年も守ってきたお墓ですから。でもね、草ぼうぼうの墓前で手を合わせるたびに、“これは本当に供養になってるのか?”と考えるようになったんです」
ご家族で話し合い、最終的にお墓を閉じ、ご遺骨は海洋散骨で自然に還されました。
「今では毎朝、仏壇の前で手を合わせてます。
あの人たちは“墓”の中じゃなく、ちゃんと心の中にいるんですよ。昔から仏壇で供養されてきたじゃないですか。お墓は埋葬。供養は仏壇です。」
【供養とは、「心を向けること」】
仏教でも、本来「供養」は遺骨や墓石ではなく、“故人を偲び、心を寄せること”が本質だとされています。どんなに立派なお墓があっても、誰も手を合わせなければ、それは供養とは言えないのかもしれません。反対に、形がなくても、日々そっと思い出し、心の中で語りかける時間こそが、最も自然で尊い供養の形です。
【墓じまいは、終わることではない】
墓じまいで多くの方が不安に思うのが、「目に見える場所がなくなること」です。
けれど、それは終わりではなく、「執着を手放し、心でつながる段階へ移ること」とも言えます。
海洋散骨を選ばれた方の中には、こんな言葉を残された方もいます。
「いまでは、海が手を合わせる場所になった。
海に行けば、両親に話しかけられるんです。悩み事、家族の事、時にはお願いごとも。」
【次世代への思いやりとしての“墓じまい”】
少子高齢化、都市への移住、宗教観の変化。
現代の社会構造を考えると、「代々守る」という供養の形が成り立ちにくくなっています。
「誰にも迷惑をかけたくない」
「子どもには、身軽に生きてほしい」
そんな想いから、墓じまいや自然葬を選ぶ方が増えています。
それは、“供養をやめる”のではなく、“供養のかたちを自分で閉じて次世代に負担をかけない”という愛情ある選択でもあるのです。
【墓じまいは昔の自然葬に戻るだけ】
墓じまいとは、「供養を終える」のではなく、「想いを引き継ぐ」こと
供養とは、遺骨や墓石を守ることではなく、心を寄せ続けること。
お墓がなくなっても、自然の中に還っても、故人を想う気持ちが消えることはありません。
大切なのは、“これからも供養を続けていく意思”を持つこと。昔は土葬で全てを自然に還していた。誰かが遺骨を引き継ぐことはありませんでした。墓じまいをして、遺骨を自然に還したとしても、あなたの祈りは必ず届きます。昔に戻るだけです。