若い頃に一度、結婚したいと思った男性がいたのですが、その方と縁がないまま関係が終わってしまい、以来お付き合いをする人も現れないまま気づけば婚期を逃してしまいました。
幼い頃から母との2人暮らしが長かったこともあり、私が結婚した後の母の生活が心配だったというのもありますね。
母一人子一人で、いつでもお互いを頼り、支え合って生きてきました。
そんな母も70の誕生日を迎えた頃から、体に衰えを感じ始めたようで、時間が経つごとに気弱なつぶやきも増えていきました。
「私が死んだらあなたがひとりになってしまう」
母は、近所でも「元気なおばさま」と代名詞がつくほど、いつもニコニコして井戸端会議も好きな人です。
同じ女性として、人間として、とてもステキな人だと思うし心から尊敬しています。
そんな母が、ある日突然私に「お母さんが死んだら、ずっと遺骨をあなたのそばに置いておいてね」と言ったのです。
根っから明るい人が、すこし弱気なことを言うと「どうしたの??」と余計に心配になってしまうもの。
ただ、母にとって「老い」はずっと不安だったことかもしれないし、それが年と共に大きくなっていって、言葉にする回数も増えてきたのかもしれません。
「まだまだ元気なんだから大丈夫だよ」という私の言葉をよそに、母はどんどん落ち込んでいくように感じました。
その不安は自分の命のことであり、きっと私の将来のことでもあったと思います。
私の将来…それは、私が一人になった時。そして母がこの世からいなくなった後。という意味でしょう。
私一人を残してあの世に行くのは、母にとって見えない将来だし、私のその後が心配だったんでしょうね。
だから、せめて骨になった後でも私の拠りどころになれるように。手元供養ならずっとそばにいてあげられるよ。そんな思いだったんだと思います。
母を安心させるために母の将来を準備
私が結婚でもして、きちんと生きていく基盤のようなものが形で見せられれば、母も安心するのかもしれませんね。
でも、正直、今後「つれあい」となる人が現れるのかなんて、私にもわかりませんし、見えない私の将来は、いくら言葉で「大丈夫。心配ない」と伝えたところで何の根拠もありませんよね。どうしようもないわけです。
そこで私は、私ではなく母の将来を準備することにしました。
母がこの世からあちらに逝ったあと、どうなるのか…これをきちんと形に残してあげようと思い立ったのです。
不謹慎に聞こえますか?母の死後の準備を今からしておくなんて。
でも、大事なことだと思ったんです。私が母をどんなふうに送るのか。
弔いの準備は、心構えをして、前向きに考えているということの表れにもなるなと思いますし。
私はたとえ一人でも大丈夫だよ。と、形で伝えてあげたかったのです。
母と私にぴったりだった海洋散骨
さっそく資料請求をしました。散骨される場所は別府湾。
海が好きで、海をみているだけで心がスンとする。というのでしょうか…。
海は浄化の意味があるので、なんだか清々しい。「ここにずっと居たいね」と私も母も気持ちは同じでした。
なので、迷いなく海洋散骨に決めました。
細かい段取りや手続きはこれから、または旅立ちの時となりますが、母は自分の将来を自分で決められて、そして私の気持ちも察してくれて、心が穏やかになったように感じます。
母の旅立ちの時には分骨することも、本人に承諾済みです。
そばに母の何かを感じていたいですし、母も「ずっとあなたのそばに置いておいてね」と言ってくれましたから。
死は怖いものだ、と思っていましたが、今の世で後悔や不安を一つずつクリアしていけば自然と怖さは和らいでいくんだな。と感じました。
それもこれも、海洋散骨の生前予約をしてから、、、。
来るべき母の旅立ちの前に、二人でもっとたくさんの思い出を作り、日々を大切に楽しみたいと思っています。