”新型コロナウイルス”。あっという間に、全世界的規模となりました。感染者数や発症・重症化したと報道される人数が、増えていく様子をニュースでみると、健康への心配と同じように、もしも自分の身に降りかかったら…(想像)が止まらず心も疲れていくような気がします。
「困った(苦しい)ときの神頼み」という言葉があります。
この成語を一目見ると「窮地に立たされた時に限って、普段はなんの信仰もしていないひとが神様に『どうか助けてください!』とお願いする」…ように見えますね。
何とも独りよがりで、図々しさすら感じてしまう成語ですが、本来の意味は少し異なるのだそうです。
その答えはあとのお楽しみにして、ここでは『頼む=祈る』、お経についてのお話です。
「法華経」とは?
「すべての人が仏に成れる」と説く『法華経』一乗の精神を、日本全土で育てたいと願った最澄は、唐に渡った際に妙法蓮華経に限らず密教も学んでいました。
日本に戻ってその教えを日本でも伝え広め、後の天台宗比叡山延暦寺「遮那業」と呼ばれる密教系の学流を作り上げたと言われています。
「妙法蓮華経」は、汚い泥の中からも美しい華を咲かせることができる・あらゆる人を平等に救うという教えと意味をもっているのだそうです。
般若心経という言葉を聞いたことがある人もいるでしょうが、これは国家の安寧と家内安全・災害防止等を祈るための「大般若波羅密多経」というお経の一部です。元経は600巻にも及ぶ長い長いお経なのだそうですよ。
あらゆるイベントが自粛 読経会も中止に
たくさんの人が集まる集会やイベントは様々な感染リスクを高める危険があります。
どうしてもお葬式をしたい
これまでの準備を考えると中止になんかしたくない
今しかできないことだから
などなど、外出や参加をしたい気持ちを抑えられない感情が沸くのは誰も同じです。
楽しむための集会に限らず、寺院では、早い段階から参加する人たちの身を案じて月例や毎日のお勤めを控える動きが見られました。
また、全国各所にある寺院も、SNSやwebサイトの中で、月例の護摩行や日々のお祈りを欠かさず行なう様子、新型コロナウイルス感染症の退散祈願をする様子を公開しています。
同じ場所に集わなくても、離れた場所にいても、それぞれが日々の行を続けることが大事ということでしょうね。
困った時のお祈りではなく毎日のお勤めが支えに
きっとこれまで、お経や信仰に縁遠い環境で育った人も多いことでしょう。
しかし、窮地の場面で思わずつぶやいてしまいそうな「お願い神様仏様!」。
何かにすがりたい、助けてほしい、今をどうにかしたいと思うシーンもありますね。
優しくされたければ、まず優しさを与えましょう、といったたぐいの言葉もありますが、助けてほしいと思った時に自分を支えてくれるのは、実は周りの人や自分の心の強さ、安らぎ、信念だったりするものです。
苦しい時に手を差し伸べてくれるものや人への感謝、思いや気持ちは、日ごろから自分が苦しくない時も変わらず培っておきましょう。
これが、「困った(苦しい)時の神頼み」の真意かもしれませんね。苦難の備えのためにお祈りを捧げるのではなく、日ごろの会話のように、毎日当たり前で身近に感じられるいろんな物事に感謝することの大切さを教えてくれているような気がします。
日常の忙しさの合間にも、心を落ち着かせる一時を。そんな時間が積み重なれば、自分も周りの人へも優しく穏やかな毎日が過ごせるでしょうし、困ったときだけのお願いも必要がなくなるかもしれません。