あなたは、将来自分が入ることになるかもしれないお墓がありますか?
先祖の遺骨が何代も納められている家墓がありますか?
そのお墓に自分が将来入ることに、わずかでも疑問や不安を感じたことがありますか?
火葬文化の背景と供養の方法
日本でお墓に遺骨を納めることが当たり前、と言われるほどになったのは、昭和の時代に火葬をする文化が定着してからです。
火葬を行うための整備がなされたのは、墓地減少という切実な問題が元だといわれています。
葬儀が終われば火葬場に行く。
現代人のどの葬儀でもこれが一般的な流れです。宗派を問わず、火葬は今や慣習ではなく、日本人にとって疑いようのない文化といえます。
ただ近年では、火葬が行われた後に「お墓に納骨する」以外にも、弔いの選択肢がたくさん出てきました。
特に、お墓を持たない方法・種類が増えてきているという点に注目すべきでしょう。
家族や集団のカタチが変化し個人重視型に
ひと昔前のまだ日本の経済が好景気だった頃。
世帯主の働き方によって家族の住む場所が変わったり、単身赴任によって家族がバラバラに生活することになったりする世帯が急増しました。
親子孫世代が一緒に毎日を過ごすのが当たり前だと思われていた時代から、家族のかたちが大きく変わったタイミングだといえるでしょう。核家族化のスタートです。
さらに現在、親子ですら生活を共にしない単身世帯が珍しくなくなりました。
そこから、成人しても未婚のまま、一人暮らしを続ける人が正に今増え続けています。
経済とともに、家族や企業といった集団単位が徐々に個に向かっています。
日常生活を1人、または離れた家族それぞれで送ることに慣れた先に、「この世を去ったあとの自分」に対する考え方も、家族単位ではなく個人が中心になるのは時代の流れのように思えます。
家墓があっても入らない選択
決して家族を軽んじているわけではなくても、
将来的に先祖から続く家墓に自分の遺骨が納められることに対して、どこかわだかまりを感じているから、墓に入る以外の選択肢が求められているのかもしれません。
死後にも自分が納得のいく弔い方を、趣味や好みなど今の自分に照らし合わせて選べるようになってきました。
たとえば海洋散骨や樹木葬、寺院に亡き骸を任せて後々合葬をしてもらう納骨堂なども、おひとりさまになるかもしれない自分の終の棲家(ついのすみか)として、また時代の流れに合ったニーズとして、ふたたび注目されているのでしょう。
墓地の不足や家墓の承継問題などから、最近では墓じまいをする人も増えてきました。
墓の存在か、先祖の供養か。どちらを尊重して選ぶのか迫られているようにも見受けられます。
死を後ろ向きなものととらえずに、自分と家族と周りの人のために、生前のうちに弔いについて話し合いの時間を持つことが、今の時代にもとめられていることかもしれませんね。
常識を疑う!供養の意識変化とは
皆さんは、こう考えたことはありませんか?
お葬式は必要なの?戒名はいつから?お墓はいるの?
歴史の中で、弔いの形は変化してきました。
今一度、原点を見つめてみる時代ではないでしょうか?