家族と一緒のお墓に入ることを拒否/海洋散骨を選びました (40代 飲食業 … - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

家族と一緒のお墓に入ることを拒否/海洋散骨を選びました (40代 飲食業 …

人生、いろんなことを考えて、

人生を生きて最期はみんな同じように死んでいくんだと思っていました。

私一人が何か特別な人間だとは思っていません。

だって、私と同じ悩みを抱えている人はきっと世の中にたくさんいるでしょうから。

私は、男か女かとくくられる世の中で生きにくさを感じている人間です。

それは自分ひとりの問題で、家族には何も関係がないことだと思っていたのですが…。

世の中が少しずつ、いろんな個性を認める方向に動いていても、家族が自分ごととして考える時は、世論なんて全く関係ないのかもしれないですね。

長男と言われることが辛かった

トランスジェンダーの悩み

私は、地方のとある夫婦のもとに生まれた一人っ子です。

田舎に限ったことではないかもしれませんが、男の子が長子で生まれると、どこか「よかったね」と近所の人から言われる空気があります。

きっとこれって、「跡継ぎが出来てよかったね」という意味なんでしょうね。

この問いかけに、両親も「はい、おかげさまで」などと返事をしていました。子どもの頃はその意味が全く理解できなくて、男の子で生まれたことが良かったのだと、単純に意識が刷り込まれていたような気がします。

ただ、歳を重ねるうちにそんな言葉がイヤになり、次第に疎ましく思うようになりました。

男の子だから良いって何?自分は男の子とか女の子とか、そんなどちらかに決められない…

と、いつも苛立っていたようにと思います。

私は中性です。どちらでもなく、どちらでもあるという感覚を当たり前にして毎日を過ごしています。

家族の跡継ぎと世継ぎの問題に直面して

私が、男の子っぽくなくて、それでいて女の子の雰囲気を強く感じさせるようなこともなかった様子が、両親にとっては不可思議だったようですね。

今考えると、学生のころは「身体を鍛えろ」だとか、「男っぽくしたほうがモテる」とか、男性を意識する言葉を多く聞かされた気がします。

正直に言えば、私の恋愛対象は時に男性であり、時に女性であり。自分にとってそれが純粋に当たり前のことでした。

ただ、年頃になっても両親に異性の話はせず、業を煮やした両親はお見合い話を持ちかけるようになりました。

さすがに、それは自分の中で受け入れられるものではなくて。「結婚」という形自体が私の人生に考えられないとでも言いましょうか。

だんだんと両親はいらだつようになりました。「いい加減、結婚しろ。そして跡継ぎを真剣に考えろ」と、はっきりと声に出して言われてしまったのです。

この瞬間、緊張の糸がプチっと切れたような、そんな気がしました。そして、自分の性について冷静に伝えました。

「子どものこと、きっと理解してくれる」とどこかで信じていました。

「同じ墓に入るな」と言われた私の行く先

太陽と緑の木

自分の性について、そして結婚と将来の考えについて話をしている途中、両親は私の言葉を遮るように「もう、好きにしろ」と言いました。そして、「もう聞きたくない。そんな子だとは思っていなかった。」と言葉を続けました。

瞬間、家族が終わってしまったような気になりました。

少しの沈黙のあと、「無理に家にいなくてもいい、跡継ぎはいないものだと思うようにする。将来、お前が死んだときは家墓に、親と同じ墓には入るな」と父が言いました。

それまで、お墓のことなんてさほど考えたこともなかったですが、改めてこういわれるとショックですね。自分の意思じゃなくて、人から「するな」と言われることの辛さは、結構こたえました。

それでも、自分の骨を拾う人がいないかもしれない現実に気づかされたような気がして。その点は、自分できちんと決めておかないといけないんだと心構えが出来ました。

家墓に入ることも許されず、どうしたものかと考えていた時に、テレビで海洋散骨の特集をしていたのを偶然に見ました。

私のようなトランスジェンダーでも受け入れてくれることを知り、何だか自分がやっと認められたような気分でいます。

パンフレットを取り寄せ、いろいろ質問して、生前予約に決めました。

だって、自分にはコレしかない。コレがベストだと思ってしまったのですから。

大分市で海洋散骨をしている方に出会ったのも、いろんなタイミングが重なってのこと。運命なんだと今では思っています。

タイトルとURLをコピーしました