これまでに、何人もの友人や知人、近所の方を見送ってきました。
最愛の妻も15年前に病気で亡くし、いつも家の中で一緒に過ごしたネコも2年前に逝きました。
独居になるまでの生活
20年前に現役引退をするまで、仕事ばかりしていた私は、ずっと妻を1人きりにしていました。
がむしゃらに働いてムリをして建てたマイホームに、気が付けば40年の間、ほぼ1人で住まわせていました。
妻は家と近所との関係を支えてくれている。その安心感はいつもありました。
土地柄、近所の人とも交流があって、班の出ごとやお祭りなど割と付き合いも多かったですが、いつもなにか忙しそうにしていましたよ。
そんな妻が突然自宅で倒れて、数ヶ月入院したまま自宅に戻ることはありませんでした。
私たち夫婦には子どもがいません。
妻が亡くなって、私は1人になってしまいました。これから2人の人生を楽しもうと思っていたのに。あまりにもあっけなくて、全く想像もしていなくて、ネコの頭を放心状態でなでるような日々。しばらくは何も手につきませんでしたね。
人付き合いも時代で変わる
高齢者が多い住宅街で、妻の晩年も、出ごとと言えば自宅葬のお手伝いが主になっていました。
そのうち、自宅葬をなさる家は減って、家族葬のあとで弔辞連絡だけが来るといった感じが増えましたね。
私は幼い頃からずっと「地区で誰かの葬儀を手伝うのが当たり前」のような感覚で育ちましたが、今の時代、そうではなくなってきているんだなと思いました。
次第に近所で空き家が増えて、ご親族の方らしい人が立ち会って空き家を取り壊す場面に出くわすことも多くなりました。
私は天涯孤独の一人身なので、これからは1人で逝く準備をしなければなりません。
ただ、実はずっと手元に妻の骨壺を置いていました。
次の代の子どもがいる方は、いろんな手続きや処理をしてくれるのでしょう。
それまでの常識のようにお墓を建てて妻を納骨しても、私にもしものことがあればすぐに墓が荒れ、無縁仏になってしまいますからね。
支えてくれた愛猫を見おくって
妻がいない寂しさを、飼っていたネコが埋めてくれていました。そのネコも先に逝ってしまいました。
今はペット葬というのがあって、家族のように大切な犬やネコを火葬して、骨壺に入れて遺骨を受け取るか、希望すれば永代供養も引き受けてくれるんです。
私は気が回る性格でもありませんし、無精者ですので、愛ネコの遺骨を粗末にしてしまうようなことがあってもかわいそうだと、火葬してそのまま海洋散骨してもらいました。
「ありがとう、海洋散骨してもらって私も安心だ。ずっと忘れないよ。また来るな」と海の前で1人泣きました。
自分と妻を海洋散骨へ委ねることに
家に帰り、いつものように妻の骨壺に手を合わせた時、急に不安になったんです。
私が死んだら妻の遺骨はどうなる?私が死んだ時、誰にも気づかれなかったら、妻も私もどうなるのか?
身寄りがない私は、逝ったあとの手続きのことまで、死ぬ前に準備しておかねばならないのです。
いろいろ考えて、支援センターの人に相談もしました。
そして、私は家を処分して老人ホームに入り、妻を愛ネコの眠る海に海洋散骨し、遺言書をつくりました。
私が息絶えた時は、ホームの方の手を少し借りますが、その後の手続きに困らないように流れを説明して託してあります。
ホーム入居の条件で骨壺を持って入れなかったので、妻は先に海洋散骨してもらいました。
ずっと遺骨をお世話をしてもらう方法ではなく、自然にとけ込み、自然に還るのが私と妻には良いだろうという結論に行き着きました。
家を処分して、自然葬(海洋散骨)の生前予約を申し込みました。
これもすべて、妻が家を大切に守ってくれたから。あの時私を1人残して逝ったネコが弔いを考えるきっかけをくれたから。
どうしようもなくなる前に、蓄えを残せるうちに。終活することの大切さをこの歳になってやっと気づきました。今は本当に、何の不安もなく晴れ晴れとした気分です。