「死別の悲しみは、時間とともに癒える」
そう言われることもありますが、実際には、心の痛みが残ったまま日々を過ごす人も少なくありません。
最愛の人を亡くしたとき、残された人の心には大きな喪失感とむなしさが残ります。
そのような中で、今注目されているのが、愛する人を自然に還すという選択──海洋散骨です。
この記事では、海洋散骨という葬送のかたちが、「グリーフケア(悲嘆の癒し)」としてどのように寄与しているのかを探っていきます。
■ 悲しみに寄り添う「グリーフケア」とは
グリーフケアとは、死別や喪失体験によって生まれる悲嘆(グリーフ)に対し、心の癒しや次のステージへ進むプロセスのことを指します。家族や友人、支援者がそばにいて、話を聞いたり共に悲しんだりすることはもちろん、供養のあり方そのものがグリーフケアに直結することもあります。
近年では、「心の区切り」をつけるために、お墓に入れる代わりに自然へ還す散骨を選ぶ人が増えています。
■ 「執着を手放す」ための供養という考え方
仏教の教えでは、「執着こそが苦しみの元」とされます。
遺骨や形あるものにすがることで、かえって心が整理されず、悲しみが長引くことも少なくありません。
津久見市に住む女性は、ご主人の遺骨を6年間手元に置いていました。
「いつか手放さなければと思っていても、怖くてできなかった。でも、海洋散骨をしてやっと心が整った気がします」と語ってくださいました。
また、豊後高田市の女性は、40代の息子さんを交通事故で亡くしました。お別れをする時間もなく、一瞬でお別れとなり3年間の間、ご自宅で手元供養して来ました。どうしても離れたくないそうです。でも、いつか息子の居ない現実で生きていかなければならないと心では分かっていたそうで、意を決して海洋散骨へお申込みされました。散骨当日も泣き叫びながら息子さんの名前を呼び続けていました。掛ける言葉が見つからないとはまさにこのことでした。しかし、散骨後の女性は晴れ晴れとしており、息子さんが自然に還って行ったことを体験してスッキリしたと言いました。
大切な人を想いながらも、その人がいない現実を受け入れ、前に進むために“執着を手放す”──それが、海洋散骨の持つグリーフケアとしての一面です。
■ 「自然に還す」という行為がもたらす心理的効果
海洋散骨を行う際、多くの方が「自然に帰してあげたい」と口にされます。
それは、単に遺骨を埋葬するのではなく、自然の循環に戻す行為です。
波が揺れ、花が海に浮かぶ。
その瞬間、遺された人々は、命の終わりを「消失」ではなく、「還ること」として受け止められるようになるのでしょう。
臼杵市から来たある依頼者の6歳の息子は、散骨の日に「お花の道ができたね」と話しました。
その言葉に、大人たちは涙しました。
死を悲しい別れではなく、「やさしい旅立ち」として見る感性が、確かにそこにあったのです。
■ 「お墓がないと手を合わせられない」──本当にそうでしょうか?
散骨に迷う方の多くが心配するのが、「手を合わせる場所がなくなる」ことです。
けれど、海は世界中につながっています。
日本のどの海に行っても、空を見上げ、波の音に耳をすませば、故人に語りかけることができます。
「手を合わせる場所が“ない”のではなく、どこにでも“ある”」
この感覚が、心を解放し、自由に祈れる感性を育てていきます。
形式的な供養ではなく、心が自由になる供養──それが、海洋散骨の本質なのかもしれません。
■ 「墓じまい」と「心の整理」を同時に選んだ人の声
由布市の50代女性からのご依頼で、実家の墓じまいをした際に、5柱の遺骨を海洋散骨されたケースがありました。
「遺骨はもう自然に還ったけれど、気持ちは今まで以上にそばにある気がするんです。
お墓がないからといって、忘れるわけではないんだなと感じました」
このように、形あるものを手放した先にこそ、心のつながりを深く感じる瞬間があるという声も増えてきています。
■ “見送ること”は、“再出発”
海洋散骨は、故人のための供養であると同時に、残された人の再出発の儀式でもあります。
自然に還すことで、悲しみの中にある自分を解き放ち、
手を合わせることで、心の中の故人と穏やかに対話できるようになる。
次のステージへ向かう。そうした過程そのものが、まさにグリーフケアの本質ではないでしょうか。
形式や場所にとらわれず、故人を想うこと。
それは、どんな方法であっても、やさしく、力強い“供養”になるのです。