仏壇は、先祖供養の場であり、信仰の拠点であり、家の中にある小さな寺とも言える存在です。代々手を合わせる姿を子に見せながら、供養の文化は継承されてきました。仏壇が果たしてきた役割の重みを理解しているからこそ、「仏壇を手放す」という言葉には、心がざわつく方も多いでしょう。
しかし近年、仏壇処分を希望する方が増えてきました。
「仏壇を守る人がいない」 「家を手放すことになった」 「施設入所で持ち運べない」
その背景には、家族構成や生活環境の変化があり、もはや「仏壇を維持すること」が現実的でなくなってきているのです。
仏壇処分に対して、批判や罪悪感の声が上がるのも事実です。しかし私は思うのです。仏壇処分とは、文化を手放すことではなく、供養のかたちを再定義する機会なのだと。
たとえば、仏壇を処分する前に「閉眼供養(魂抜き)」を行う。仏壇という形がなくなっても、ご先祖様への感謝や対話の気持ちは、心の中に残り続ける。海洋散骨を選ぶ方も増えていますが、海の前で手を合わせる姿に、私は確かに供養の気配を感じます。
海は、空と大地と命が交わる場所。そこに向かって語りかける姿には、仏壇の前と同じ敬虔さがあります。大切なのは、形式ではなく、祈る気持ち。
むしろ、仏壇を手放すからこそ、「今、自分はどう祈るか」という問いに向き合えるのではないでしょうか。子や孫に負担を残すのではなく、「供養の本質」を伝えていく。仏壇処分は、その第一歩なのかもしれません。