海洋散骨は後悔する?/ある僧侶のアドバイスから考える供養とは? - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

海洋散骨は後悔する?/ある僧侶のアドバイスから考える供養とは?

娘にお墓を残さない海洋散骨という選択
娘にお墓を残さない海洋散骨という選択

8ヵ月前、ある男性から海洋散骨の資料請求がありました。その6か月後、その男性の娘さんという女性から「父が先日亡くなりました。」と連絡が入りました。「生前、父は、体を悪くしてから自分はもう長くないと言って、私たち姉妹と母にお墓のことで負担を掛けたくないと、海洋散骨の資料を取り寄せていました。」と言います。

私もその男性との会話は記憶にあります。

『娘がいる。お墓を建てる土地は昔購入したがお墓はまだ建立していない。もう私は長くないから、お墓を建てられると嫁いだ娘の負担になるので、お墓を持たない選択をしたい。海洋散骨なら、海がお墓になるからどこにいても海をみたら娘たちが想い出してくれる。ただそれだけでいい。』

と言っていたことを覚えています。

そして、先日、その男性の奥様から、海洋散骨の日程調整をしたいと連絡がありました。

「菩提寺の住職に、海洋散骨をかなり反対されました。遺骨が無くなると必ず後悔する。と・・・・。でも、お墓を持たない選択は主人の娘への願いなので、お坊さんには、供養は仏壇でするからと伝えました。」と、海洋散骨までの障壁をお話されました。娘たちと一緒にご主人をお見送りしたいという希望を叶えるため、ご主人の「親の子供孝行」の希望も叶えるため、海洋散骨を執り行いました。

海洋散骨は、一部の人たちから良いように思われていない場合もあります。

私たちの社会は常に変化しています。目まぐるしく変化する社会情勢の中で、私たちは過去の慣習に敬意を表しながらも、新しい価値観や選択を受け入れる柔軟性を持つことが求められています。海洋散骨という選択肢が登場したのも、このような社会変化の一環です。昔は土葬に木の墓標が主流で全てが自然に返っていました。遺骨に手を合わせるのではなく、形代という位牌に手を合わせ先祖供養をしてきました。遺骨を骨つぼに入れて残す文化は主に昭和の中頃から社会情勢が変化してからと言われています。それ以前はずっと自然葬だったのですから。

先祖を敬い、感謝するという価値観は、お墓の有無ではなく、先祖に対する心からの思いや行動によって表されます。海洋散骨を選択する人々も、先祖への深い敬意と感謝の気持ちを持っています。自然と一体になることで、故人への思いを形にしたいと考えているのです。

文化や伝統は時代と共に変化していくものです。伝統を大切にしながらも、新しい価値観や選択肢を受け入れることは、文化の豊かさを増すことに繋がるでしょう。海洋散骨に対する理解が深まることで、多様な選択肢が共存する豊かな社会の実現に貢献できると信じています。先祖を敬う方法は一つではなく、それぞれの思いや価値観に基づいた形があって良いと思います。それを選択する人々は増えています。海洋散骨を選ぶことも、その多様性を受け入れ、尊重する一つの表れとして、理解していただければ幸いです。

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