
「お葬式をしない」という選択が、特別ではなくなってきました。
かつて葬儀は家の行事で、日本の文化でした。
親族が集まり、地域が支え、宗教者が導く。
それが当たり前の光景でした。
しかし今、その前提が崩れています。
■ 「家」から「個」へ
少子高齢化と核家族化により、
家族は小さくなり、つながりは遠くなりました。
子どもは県外や都市部に住み、
高齢の親は地元で暮らす。
いざ親が亡くなったとき、子どもはこう考えます。
「誰に連絡すればいいのだろうか」
近所付き合いは希薄になり、
親の交友関係も把握していない。
仮に連絡できたとしても、
参列予定者もまた高齢者。
認知症、足腰の不自由、入院、施設入所。
結果として、「呼ぶ人がいない葬儀」になるのです。
こうした背景から、宗教者を立てず火葬のみを行う直送が増えています。
現在、全国で約10%。
都心部では20%に迫る勢いです。
直送は合理的で、経済的で、現実的な選択です。
しかし、問題はその“あと”に起こります。
■ 直送後に生まれる「静かな後悔」
データによると、直送を選んだ家族の3割以上が後悔を感じているそうです。
それは豪華な葬儀をしなかったことではありません。
・ちゃんとお別れをした実感がない
・心が追いつかない
・区切りがつかない
火葬場で数分のお別れ。
骨壺を受け取り、そのまま日常に戻る。
「悲しむ時間」も「感謝を伝える時間」も足りないまま、現実だけが進んでいく。
この心の違和感が、後からじわじわと広がるのです。
■ そこで生まれた「骨葬」という選択
直送の合理性と、心の整理。
その両方を満たす形として注目されているのが「骨葬(こつそう)」です。
骨葬とは、火葬後に遺骨を前にして行うセレモニー。
派手な演出はありません。
大勢も集まりません。
数名で集まり、
宗教者に読経を依頼し、
花に囲まれた写真の前で静かに手を合わせる。
喪服である必要もありません。
普段着で構いません。
大切なのは「形式」ではなく「実感」です。
骨葬は、直送で不足しがちな“心の時間”を補う儀式なのです。
■ 墓を持たないという選択 ― 海洋散骨
さらに現代は、「お墓を持たない」選択も増えています。
背景には、
・子どもに負担をかけたくない
・管理費や承継問題を残したくない
・後継ぎがいない
・自然に還りたい
という想いがあります。
そこで選ばれているのが海洋散骨です。
海へ遺骨を還す自然葬。
石のお墓を残さず、自然の循環の中に帰る。
実は、昔の日本も自然葬に近い形でした。
「墓を守る」ことより、「自然に還る」ことが当たり前だった時代もあります。
直送で火葬し、
骨葬で心を整え、
海洋散骨で自然に還す。
この流れは、現代社会に適応した合理的かつ精神的にも納得しやすい形なのです。

■ なぜ今、この流れが広がるのか
理由はシンプルです。
家族の規模が小さくなったから。
経済的余裕が減ったから。
宗教との距離が遠くなったから。
そして何より、
「子どもに迷惑をかけたくない」という親心が強くなったから。
直送は冷たい選択ではありません。
骨葬は簡素な儀式ではありません。
海洋散骨は供養をしない選択でもありません。
それぞれが、時代に合わせた“思いやりの形”なのです。
■ 新しい時代の葬送設計
これからの葬送は、
「やる・やらない」の二択ではありません。
どう見送れば、
家族が後悔しないか。
どうすれば、
子ども世代に負担を残さないか。
直送・骨葬・海洋散骨は、
その答えの一つです。
葬儀は“見栄”ではなく、“納得”。
お墓は“義務”ではなく、“選択”。
時代が変われば、見送り方も変わります。
そして今、
直送 → 骨葬 → 海洋散骨という流れが、
新しい時代のスタンダードになりつつあるのです。
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