臼杵市に住む40代の男性から、代行による海洋散骨のご依頼をいただきました。
ご本人は独身で、ご両親と三人暮らしだったそうです。7年前に父を亡くした際は、県外の海洋散骨事業者に依頼して海に還したといいます。
そして今年、母も逝去——彼は迷うことなく、母も同じように海へ還したいと、当協会へ連絡をくださいました。
■ 父と母、同じ海へ
「家族は、もう僕一人なんです」
静かな語り口に、決して軽くない年月の重みが滲んでいました。
お父さまのときは、ご自身で手続きを調べて、遠方の業者へ依頼。今度は母も、同じように自然に還したい——そう思ったとき、テレビで当協会のことを知り、ご連絡をくださったのです。
■ お墓はない。でも、それでいい
「うちにはお墓がないんです。作るつもりも、継ぐ人もいないから」
彼の言葉は、まっすぐでした。
「自分がいつ結婚するかも分からないし、子どもができる保証もない。それなら、両親を無理に“墓”に閉じ込めず、海に還す方が、自由でいい」
両親を偲ぶ場所として、“物”ではなく“自然”を選んだ彼の判断は、時代を象徴する選択といえるかもしれません。
■ 代行散骨に込めた想い
「仕事の都合もあるし、自分で船に乗るのは難しい。でも、丁寧にやってもらえるなら、それで十分」
当協会では、故人の遺骨をお預かりし、粉骨・海洋散骨まで責任を持って代行しています。写真と証明書をお送りすると、彼からLINEが届きました。
「海の写真、母が見たがっていた景色そのものでした」
たった一文に込められた、深い感謝の気持ちを感じました。
■ 「僕も、いつか海に還る」
「母を海に送ったあと、ふと考えました。僕も、いずれ同じ海に還るんだろうなって」
彼は、すでに自分の終活についても思いを巡らせていました。
「墓がなくても、ちゃんと覚えてもらえる。思い出す人がいれば、それが供養なんじゃないかと思うんです」
この言葉こそ、今を生きる私たちが供養に抱える問いへの、一つの答えかもしれません。
家族のあり方も、供養の形も多様化する今。
“モノ”ではなく“想い”を残す。
そんな選択が、大分の地でも静かに広がっています。
▶ 海洋散骨のご相談はこちら