亡くなった母と側にいるという感覚 - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

亡くなった母と側にいるという感覚

母が亡くなった日のことは、今もはっきりと覚えています。

病室で目を閉じた母の姿。あれほど穏やかな表情は、これまで見たことがありませんでした。けれど、その穏やかさが、私の胸には静かな衝撃でした。もう声をかけても、手を握っても、返事はない。母は、いなくなってしまったのです。

あれから数年が経ちましたが、「母がいない」という現実を完全に受け入れられているかと問われれば、自信はありません。けれど、あるときから少しずつ、「母は今も私の“側にいる”」と思えるようになりました。

きっかけは、母の遺骨を海洋散骨したことでした。


■ 遺骨にすがっていた日々

最初のうちは、母の遺骨をずっと自宅に置いていました。リビングの一角に小さな花と遺影、そして骨壺。毎朝そこに手を合わせ、話しかけるのが日課でした。

でも、ある日ふと、こんなことを思ってしまったのです。

「これって、母の願いだったんだろうか?」

母は生前、「お墓はいらない」と言っていた人でした。 「死んだら、海か山にでも還してくれたらいい」と、冗談まじりによく話していました。その言葉が、胸の中で繰り返されました。

そこから私は、“遺された自分の気持ち”と“母が望んでいた供養のかたち”の間で、揺れ始めたのです。


■ 海洋散骨という選択

最終的に選んだのが、「海洋散骨」でした。

大分県内で対応している地元の散骨事業者の存在を知り、資料を請求しました。実際に相談に伺ったところ、想像していた以上に自然葬っていいなと思いました。当日は快晴。家族3人で船に乗り出航しました。 沖に出て、母の遺骨を花とともに海へ還しました。

波に乗って漂っていく花を見ながら、涙が溢れました。

でも、その涙は、これまでと違いました。悲しみというより、「ありがとう」と「おつかれさま」の気持ちがこみ上げてきた、あたたかい涙でした。


■ 海は“側にいる場所”になった

それからというもの、不思議と心が軽くなりました。 母は「この部屋にいる」という感覚から、「どこにでもいる」「空や海の向こうにいる」という感覚へと変わったのです。

週末になると、家の近くの海辺に行くことがあります。 ただ波の音を聞いているだけなのに、不思議と母の声が聞こえてきそうになります。

「がんばりすぎないでね」 「ちゃんとご飯食べてる?」

そんな風に、心の中で語りかける時間が、私にとっての供養になっています。

海は、お墓のように「決まった場所」ではないけれど、 どこにいてもつながっていられる“心の場所”になったのです。


■ 亡くなった人は、“いない”のではなく“かたちを変えて、側にいる”

遺骨を手放すことは、決して「忘れること」ではありません。

むしろ、物理的に手放したことで、私は母をもっと近くに感じられるようになりました。 母の“物”ではなく、“想い”が、私の中にしっかり根を張っている——そんな気がするのです。

「母はもういない」ではなく、 「母は、かたちを変えて、今も私の側にいる」。

それが、私の中でやっとたどり着けた“答え”でした。


■ 海洋散骨という選択

海洋散骨は、単なる「お墓を持たない選択」ではありません。 それは、残された人が“つながり方を見つけ直す”ための、やさしい供養のひとつ。

亡くなった母は、もうこの世界にはいません。けれど私は、今もはっきりと感じています。

母は、私の心の中と、この海に、ちゃんといる。

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