「この仏壇、どうすればいいのか…」
そうつぶやいたのは、宇佐市の70代の男性でした。
介護度が上がった母親の引っ越しに伴い、長年手元に置いてきた仏壇の処分をどうするかで悩んでいたのです。
仏壇は、人が1人で抱えられるほどの小さなものでした。
かつて母親がひとりで手を合わせ、静かに手を合わせる姿を見守ってきたそうです。
持ち運びこそできる大きさでしたが、引越し先の施設ではスペースも限られ、仏壇を置く場所もない。
そして何より、年齢的にも、もう仏壇を管理していくのは難しい。
「母と相談して、仏壇を処分することにしました」
ご家族がそう話してくださったその決断には、きっとたくさんの葛藤と想いがあったのだと思います。
「閉眼供養はしませんでした」
このご家庭は浄土真宗の信仰を持っていました。
宗派によっては、「閉眼供養(魂抜き)」を行わないという考え方もあり、今回は儀式をせず、そのまま仏壇を当協会がお預かりすることとなりました。
「閉眼供養は必要ないの?」
これは、多くの方が仏壇じまいを検討する中で、最初にぶつかる疑問かもしれません。
閉眼供養とは、仏壇や仏具に宿っているとされる“魂”をお寺の読経によって抜いて、仏壇を「物」に戻すための儀式。
本来は、宗教的な儀式として行われています。
ですが、最近は無宗教や「形式にこだわらない」方も増えており、必ずしもすべての人が閉眼供養を望むわけではなくなってきました。
形式よりも、「ありがとう」と伝える時間
「お仏壇に、母が『ありがとう』と手を合わせたとき、なんだかそれが供養になったような気がしたんです」
と依頼主の男性は話してくれました。
閉眼供養のような宗教的な儀式を経なくても、
仏壇の前に座り、静かに手を合わせて、
「これまで家族を見守ってくれてありがとう」
と感謝を伝えること。
それこそが、心の整理になり、
仏壇との“別れの儀式”になるのではないでしょうか。
「儀式をする・しない」ではなく、
「自分の気持ちにどう区切りをつけるか」が、仏壇処分における本質なのだと思います。
増える仏壇じまいの相談
当協会には、仏壇の処分に関する相談が年々増えています。
背景には、以下のような社会的な変化があります。
- 子どもが県外に住んでいて仏壇を引き継げない
- 高齢化が進み、本人も仏壇の管理ができなくなる
- 独居や夫婦のみの世帯が増え、仏壇を置く場所がない
- 無宗教化が進み、仏壇の必要性が薄れた
仏壇は、かつては一家に一台、「家の中心」として据えられてきました。
けれど今は、生活スタイルが大きく変わり、「祈りのかたち」もそれぞれの家族によって多様化しています。
それでも手放すのは簡単じゃない
それでも、仏壇を「処分する」と決めるのは簡単なことではありません。
多くの方にとって、仏壇は
・故人と対話する場所
・自分を見守ってくれていると感じられる拠り所
・家族の歴史が刻まれた象徴
であることが多く、
「捨てる」「処分する」といった言葉に大きな抵抗を感じるものです。
だからこそ、仏壇じまいには、
ただの不用品回収ではない、“供養”の視点が必要だと思うのです。
仏壇じまいは、心を整える“やさしい儀式”
仏壇じまいとは、「形あるもの」だけではなく、
「想い」や「記憶」を整理し、新しい生活へ向かうための“儀式”だと、私たちは考えています。
無理に魂抜きをしなくても、
無理に形式にこだわらなくてもいい。
「ありがとう」と手を合わせて、
自分の中でけじめがつけられるかどうか。
それが、なにより大切です。
もし、仏壇じまいに迷ったら
仏壇をどうするか悩んでいる方。
お墓と同様に、仏壇も手放すタイミングに迷っている方。
遠方のご家族に仏壇を引き継ぐことが難しいと感じている方。
私たち「一般社団法人まるっと終活大分支援協会」は、
そんな方々に、心に寄り添った仏壇じまいを提供しています。
- 宗派に応じた対応(魂抜きの有無を含めてご相談)
- 搬出・引き取り・処分までの一括対応
- ご希望の方には、手元供養や海洋散骨のご提案も可能です
仏壇を手放すことは、感謝を手放すことではない
仏壇を手放しても、
ご先祖様への感謝の気持ちは、ずっと心の中に残ります。
むしろ、仏壇という“形”から自由になることで、
もっと自由に、もっと身近に、
故人との対話を続けていけるかもしれません。
仏壇じまいは、祈りのあり方が変化する時代において、
とても自然で、やさしい選択の一つだと、私たちは考えています。
大分県内で仏壇処分・仏壇じまいをご検討の方へ
どんな小さなご相談でも大丈夫です。
まずは、あなたの想いをお聞かせください。
