母の願いと私が海洋散骨を選んだ理由 - 大分で海洋散骨 一般社団法人まるっと終活大分支援協会

母の願いと私が海洋散骨を選んだ理由

竹田市から海洋散骨
竹田市から海洋散骨

「私が死んだら、海に還してね」
母がそう言ったのは、まだ元気だった頃のことでした。
最初は冗談交じりのように聞こえたその言葉が、遺言として心に残っていました。

母が亡くなったとき、私はその遺骨をすぐに手放すことができませんでした。
あまりに突然で、あまりに寂しくてずっと自宅で一緒に居たいと思っていました。
家に遺骨があることで、どこか“まだそばにいる”ような気がしていたんです。

けれど、ある言葉をきっかけに気持ちが変わりました。
「人はいつか、愛する人のいない世界で生きていかなければならない」
その言葉に、私はハッとさせられました。
母の死を受け入れること、それは“悲しみを忘れる”ことではなく、
“次のステージに進む”ことなのだと気づかされたのです。

そして私は、母の願い通り、海洋散骨を決意しました。

海洋散骨の当日は、波が無くて穏やかな海でした。

海洋散骨では、「さようなら」ではなく、
「ありがとう」「行ってらっしゃい」や「お疲れさまでした」そんな言葉でお見送りをするそうです。
私は、母との“本当のお別れ”ができたように感じました。

海へ還った母の姿を想像すると、不思議と心が軽くなりました。
悲しみがゼロになったわけではありません。
でも、きれいに区切りをつけることができた――そんな清々しさが、今も胸に残っています。

海洋散骨は、私にとって“心を整える時間”でした。
母の遺志を守れてよかった。
そして、前を向くきっかけをくれたこの別れ方に、心から感謝しています。

【竹田市に住む50代の女性からの依頼でした。】

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