海洋散骨という選択 葬送の多様化 その背景とは
ある日、突然のことでした。当協会に1本の電話がなりました。
「海洋散骨について取材をさせてください」
OBS大分放送からの取材依頼でした。
海洋散骨は昔ながらの自然葬の1つとは言え、知らない方が大部分です。
取材依頼があるということは、それだけ「海洋散骨」を必要とされる人が増えたということです。
番組の中で登場される方々のように、様々な理由でお墓を引き継ぎできない、新しく作れない方もいます。
石墓、納骨堂、自宅供養など、葬送の1つとして「海洋散骨」を知って頂けたら、それだけで私たちの活動の意味があります。
1人でも多くの方に「海洋散骨」という自然葬の選択肢を知っていただき、1人でも多くの方に「安心」の日々を送れるお手伝いをしたいと思います。
4年前、私は、高齢者になった両親の余生を一緒に過ごすため大分へUターン移住して来ました。その後、大分での生活を過ごすうちに、気がついた事があります。「あれ?自分の代でお墓は終わりだな。後ろにお墓を、継げないな。どうしよう。。。」よくよく考えてみると先祖墓は父が建てたものですし、全ての先祖が入っている訳ではありません。
疑問に思い、お墓とは何か?日本のお墓の歴史と、世界の弔いの常識を調べてみると、【自然葬】がアタリマエという事を知りました。死んだ後、骨を骨壷の中に納める供養の方法は、実はそんなに歴史が古いわけでなく、昭和40年頃から一般的になってなったそうです。それ以前は土葬が一般的でした。そして、この骨壷は日本だけの慣習と言われています。(ちなみに、世界では土葬、水葬、海洋散骨が一般的です。)骨壷を家ごとに1ヶ所に集めた先祖墓(家墓)というのは、は昭和の時代から広まって来たそうです。
ところで、今、生まれた場所で、自分の人生を過ごす人はどれくらいいるのでしょうか?故郷を離れて帰ってこない人はたくさんいます。故郷を離れた場所で恋をして、家を建て、家庭を持ち子を育てます。その子供たちは大分ではない、生まれた場所が故郷になります。つまり、次の世代に墓は継げないという事です。
先祖供養は世界中どこにいてもできます。感謝を届けるのに場所は要らないからです。自然葬は昔に回帰することことではないでしょうか。墓じまいを決めた私は、昔ながらの自然葬を大分で探し始めました。先祖墓の中にある遺骨を自然に還すためです。そして、私の次の世代からは「お墓ではなく形代」=お墓を持たない選択にするために。結果、自分が望むような方法は大分にはありませんでした。しかし、時代の流れは誰にも止められません。全国各地では、20年ほど前から自然葬が執り行われていました。それが、自然葬の1つである『海洋散骨』です。しかし、残念ながら、大分では海洋散骨を執り行う会社がありません。自然葬に関する情報を集めているうちに、私と同じように大分の地で自然葬を探している人が沢山いました。そこで、私たちは有志の団体として一般社団法人を設立し、海洋散骨の事業をスタートしました。今回のテレビ取材のように、メディアの取材のおかげか認知度が徐々に高まり、相談、依頼が全国から入ってきます。自宅供養しているの、、、墓じまいをしたいのだが、、、子供がいないの、、、相談内容は様々ですが、私たちと同じように考えている人は想像以上に多いことを知りました。そして、戦後からの高度成長期、団塊の世代とその子供たちが日本経済を安定させ、そして今、少子高齢化という時代の変化時に、海洋散骨は必要なコトでした。でも、自然葬は昔に戻るだけです。昔から執り行われてきたコトが、今再び見直されているだけです。私たちは、この事業を次の世代の有志に引き継いでもらうため、一般社団法人で活動しています
一般社団法人まるっと終活大分支援協会 代表理事 木原寛