事例報告

3人の息子と、かつて人生を共にした人。大分・別府湾で母を見送った海洋散骨

別府湾で水溶性の紙袋に納めた遺骨と花を海へ還し、家族が見送る海洋散骨

― 別府湾で行われた、あるご家族の海洋散骨 ―

8月のある朝。大分県の別府湾で、一人のお母様の海洋散骨をお手伝いしました。今回、海洋散骨を申し込まれたのは、お母様と一緒に暮らしている35歳の三男さんでした。そして、この日、船に集まった方々は神奈川県から長男さん、北九州から次男さん、そこに、お母様と親しかったご友人も加わりました。

さらにもう一人。80代の男性が、静かに船に乗っていました。お母様がかつて人生を共にされた方でした。

目次

大分・別府湾での海洋散骨|事例の概要

場所大分県 別府湾
供養の形海洋散骨(お見送り散骨)
故人
依頼者三男
乗船者長男、次男、三男、母のご友人、母がかつて人生を共にした男性

一人の女性を見送るために、同じ船へ

一艘の船に集まった人たち。長い人生の中では、出会いがあり、別れがあり、その関係は少し複雑に見えました。

夫婦だった二人が別々の道を歩むこともあります。家族の形が変わることもあります。兄弟であっても、育った時代や環境、父親が違えば、それぞれが抱えてきた思いも違います。このご家族にも、きっと私たちには分からない長い年月があったのだと思います。

それでも、この日の中心は、一人の女性です。三人の息子さんにとっては「お母さん」。友人たちにとっては、大切な「友だち」。そして、80代の男性にとっては、かつて人生を共にした一人の女性。

呼び方も、関係性も、過ごした時間も違います。それぞれの人生の中に、それぞれの「彼女」がいたのだと思います。そして、その一人の女性との最後のお別れのために、みんなが同じ船に乗りました。

いくつになっても「お母さん」

散骨が始まると、三男さんが中心となって、お母様のご遺骨を海へ。献花、献酒。一つ、また一つ。最後まで、その役目を務めていたのは三男さんでした。

そして、お別れの時間。三男さんの目から、涙がこぼれました。35歳。まだ若い息子さんです。

何歳になっても、お母さんは、お母さん

その涙を見ながら、私は思いました。

何歳になっても、お母さんは、お母さんなんだな、と。

この日まで、お母様と三男さんの間にどんな時間が流れていたのか、私にはすべては分かりません。けれど、最後まで自分の手でお母様を見送り、海を見つめながら涙を流す姿には、言葉では説明できない寂しさがありました。一方で、長男さんと次男さんにも、それぞれの見送り方がありました。

今回の海洋散骨を申し込んだのは三男さんでした。そして、その費用を支えたのは長男さんでした。兄弟の育ってきた背景は同じではありません。年齢も離れています。それでも、お母様を見送るという一つの出来事のために、それぞれが自分のできることをしていました。

近くにいる人。遠くから支える人。言葉にする人。何も言わずに見守る人。家族には、それぞれの方法があるのだと思います。

かつて人生を共にした人も、船に乗っていました

そして、もう一人。私は、80代の男性の姿も忘れることができません。かつて、お母様と人生を共にした方です。船の上でのその方の姿には、どこか遠慮するような、静かな佇まいがありました。ご家族の間にどんな歴史があったのか。私は知りません。だから、その関係を簡単な言葉で説明することはできません。

ただ、一つだけ確かなことがあります。その男性もまた、この船に乗り、お別れに来たということです。

「見送りたい」という気持ち

夫婦として歩いた時間が終わったあとも、人生は続きます。それぞれ別の道を歩き、長い年月が流れます。それでも、かつて大切に思った人との最後の日に、

「見送りたい」

そう思うことがあるのかもしれません。そこにどんな感情があったのかは、ご本人にしか分かりません。愛情だったのかもしれない。感謝だったのかもしれない。後悔だったのかもしれない。あるいは、それらすべてが入り混じった、言葉にできない気持ちだったのかもしれません。

私は、その答えを決める必要はないのだと思いました。ただ、その人はそこにいました。一人の女性の最後のお別れのために。それだけで十分なのかもしれません。

家族って、何だろう

海洋散骨の仕事をしていると、ときどき「家族って何だろう」と考えさせられます。血がつながっていることだけが家族なのか。一緒に暮らしていることなのか。同じ名字であることなのか。その答えは、一つではないと思います。今回のお見送りでは、それを強く感じました。

三人の息子さん。かつて人生を共にした人。そして、お母様のご友人。それぞれに違う人生があり、それぞれに違う思いがあります。

けれど、この日だけは、一人の女性を見送るために、みんなが同じ海を見ていました。

海へ還り、それぞれの暮らしへ

やがて、お母様のご遺骨は別府湾の海へ還っていきました。船は港へ戻ります。そして皆さんも、それぞれの生活へ戻っていきます。神奈川へ。北九州へ。それぞれの場所へ。また別々の人生が始まります。

でも、これから誰かが別府の海を見たとき、きっと、この日のことを思い出すのでしょう。

まとめ|このご家族から教えていただいたこと

家族には、外から見ただけでは分からない歴史があります。だから、誰が正しかったのか、誰が一番愛していたのかを、他人が決めることはできません。ただ、大切な人との最後のお別れの日には、それまでの関係を超えて、

「見送りたい」

という気持ちだけで、同じ場所に集まることがある。その人を想う方法は、一人ひとり違っていい。今回の海洋散骨で、私はそんなことを教えていただいたような気がします。

一人のお母さん。一人の友人。かつて誰かが愛した一人の女性。その一人の女性を、みんなで海へお見送りした朝でした。

よくあるご質問|大分での海洋散骨・お墓を持たない供養

お見送り海洋散骨の場合、何人まで乗船できますか?

最大8名まで乗船可能です。

お墓を持たない場合、散骨のあとはどこで供養すればいいですか?

散骨した海そのものが、故人を想う場所になります。今回のご家族にとっては別府湾がその場所です。命日や節目に海を訪れて手を合わせる、遠方からは海の方角に向かって語りかける、といった形で続けていただけます。

大分県で活動する有志の団体。大分で海洋散骨、自然葬の第一人者
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