大分県/海洋散骨の報告

すべてを、手放さなくてもいい。

体験談 一通の手紙 海洋散骨をするために届いたご遺骨と一緒に届いた一通の手紙をイメージ。

海洋散骨を選んだ奥様から届いた一通の手紙

ある日、一本の電話がかかってきました。

「主人の遺骨を、海洋散骨していただきたいのですが」

ご主人を亡くされたばかりの、70代の奥様からでした。

火葬を終えたばかりで、まだご遺骨はご自宅にあるとのこと。

お話を伺い、お盆まではご自宅でご主人と一緒に過ごしていただき、お盆が終わったら当協会へご遺骨を送っていただくことになりました。

それからしばらくして、奥様からもう一度電話がありました。

今度は散骨についてではなく、メモリアルボックスとミニ骨壺についてのご相談でした。

「全部を散骨するのではなく、少しだけ手元に残しておきたい」

そんなお気持ちがあるようでした。

自然へ還してあげたい。
でも、もう少しだけ、そばにいてほしい。

どちらも、ご主人を大切に想っているからこその気持ちです。

目次

ご遺骨と一緒に届いた、一通の手紙

お盆が過ぎ、ご主人のご遺骨が私たちのもとへ届きました。

箱を開けると、一通の手書きの手紙が添えられていました。

「散骨式を執り行って下さい。ありがとうございます。」

そんな感謝の言葉から始まっていました。

しかし読み進めていくと、そこには散骨についてのお願いだけではなく、奥様ご自身のこと、ご家族のこと、そしてご主人を亡くしてから考えていることが、たくさん書かれていました。

奥様は70代。

ご自身も身体に不自由なところがあり、以前のように自由に動けなくなっていること。

息子さんにも身体の不自由があり、将来について考えていらっしゃること。

そして、奥様自身も息子さんも、いつか自分たちのときが来たら散骨を希望していること。

そこには、今回のご主人の散骨だけではなく、

「自分たち家族のこれからをどうするのか」

という想いまで綴られていました。

ご主人を亡くした日のこと

そして、手紙の最後には、ご主人を亡くしたときのことが書かれていました。

突然のことだったようです。

救急車で運ばれたものの、ご主人は帰らぬ人となりました。

奥様は、ご主人の最期のお顔が忘れられないようでした。

苦しかったのではないか。
つらかったのではないか。
もっと何かできなかったのだろうか。

そんな想いが、手書きの文字から伝わってきました。

大切な人を亡くしたあと、

「あのとき、こうしていれば」

「もっと何かできたのではないか」

と考えてしまう方は少なくありません。

頭ではどうすることもできなかったと分かっていても、心はなかなか追いつかないものです。

私はこの手紙を読みながら、奥様が海洋散骨を選ばれた理由は、単に「お墓を持たないため」だけではないのではないかと思いました。

ご主人をどのように見送り、そして、これからどのようにご主人と向き合っていくのか。

奥様なりに、その答えを探していらっしゃるのかもしれません。

自然へ還したい。でも、そばにもいてほしい

海洋散骨のご相談を受けていると、

「すべて散骨した方がいいのでしょうか」

と聞かれることがあります。

私は、無理にすべてを散骨する必要はないと思っています。

一部を海へ還し、一部を小さな骨壺などに納めて手元に置く「分骨」という方法もあります。

今回の奥様も、メモリアルボックスとミニ骨壺について相談してくださいました。

二つの気持ちがあってもいい

「自然へ還してあげたい」

という気持ちと、

「まだそばにいてほしい」

という気持ち。

この二つは、決して矛盾していないと思います。

人の心は、そんなに簡単に一つに決められるものではありません。

まして、長い時間を一緒に過ごしたご主人です。

昨日までいた人が、突然いなくなる。

そこに寂しさを感じるのは、とても自然なことではないでしょうか。

遺骨を手放すことと、故人を手放すことは違う

私は海洋散骨のお手伝いをしながら、何度も感じてきたことがあります。

遺骨を手放すことと、故人を手放すことは同じではありません。

海へ散骨したから、ご主人との関係が終わるわけではありません。

写真に向かって話しかけてもいい。

小さな骨壺をそばに置いてもいい。

仏壇に手を合わせてもいい。

そして、海へ行ったとき、

「今日はこんなことがあったよ」

「私は元気にしていますよ」

と話しかけてもいい。

「埋葬」と「供養」は分けて考える

以前のブログでも書きましたが、私は「埋葬」と「供養」は分けて考えるよう説明しています。

遺骨をどこに納めるのか、どこへ還すのか。

それが「埋葬」。

大切な人を想い、語りかけ、ときには近況を報告する。

それが「供養」なのではないでしょうか。

遺骨のある場所だけが、故人とつながる場所ではない。

私はそう思っています。

すべてを、手放さなくてもいい

今回、奥様からいただいた一通の手紙を読みながら、私は改めて考えました。

人の気持ちは、白か黒かではありません。

海へ還してあげたい。
でも、少しだけそばにいてほしい。

前へ進みたい。
でも、まだ寂しい。

そのどちらの気持ちがあってもいいのだと思います。

すべてを一度に手放す必要もありません。

その人の気持ちに合った速度で、一つずつ考えていけばいい。

そのために「供養」があり、「供養」をするたびに心の整理ができていく。

海洋散骨も、お墓も、樹木葬も、手元供養も、そのためにある選択肢の一つです。

大切なのは、「どの方法が正しいか」ではなく、

自分は、大切な人をこれからどのように想っていきたいのか。

そこなのだと思います。

ご主人のご遺骨は、これから海へ還ります。

そして一部は、奥様のそばに残ります。

離れているようで、どちらもご主人を想う同じ気持ちから選ばれたものです。

いつか奥様が海を眺めながら、ご主人に近況を話す日が来るのかもしれません。

そのとき、海は「お墓」ではなく、ご主人と話、対話のできる場所になっているのではないでしょうか。

私は、そんな供養の形があってもいいと思っています。

  • URLをコピーしました!
目次